フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、独り言などをゆる~く書き綴る。
何の専門家でもない私が経済的自由を得て、人生のこと、世の中のこと、
幸せについてなど、一般庶民の目線で考える。
人は、なぜ職人になるのか
職人という言葉を聞くと、何か一つの技術を長い年月をかけて磨き続ける人を思い浮かべる。料理人、大工、陶芸家、時計職人、金属加工職人、伝統工芸の担い手など、その世界は実に幅広い。
しかし、「職人になる」という選択を、単に「手先が器用だから」「ものづくりが好きだから」という理由だけで説明することはできない。そこには、その人が人生に何を求めているのかという、もっと深い問題がある。
職人の道を選ぶ人の中には、「自分の技術で勝負したい」と考える人がいる。
会社の肩書きや学歴、人脈などではなく、自分自身が身につけた技術によって評価されたいのである。誰かに与えられた仕事をこなすのではなく、「この仕事なら自分に任せてほしい」と言える何かを持ちたい。その感覚に強く惹かれる人もいる。
そこには、非常に静かな自尊心がある。
「自分はこれができる」という実感は、他人から褒められることとは少し違う。昨日できなかったことが今日できるようになり、何年もかけて少しずつ精度が上がっていく。その積み重ねそのものが、自分の人生の証になるのである。
一方で、職人には「効率だけでは測れない価値」を大切にする人もいる。
現代社会では、速く、安く、大量に生産することが評価されやすい。ところが職人の世界では、あえて時間をかけることがある。見えない部分まで丁寧に仕上げたり、わずかな違いにこだわったりする。
それは、経済合理性だけを考えれば、必ずしも効率的ではない。
それでも本人にとっては、その「余分な手間」に意味がある。
完成したものだけではなく、そこに至るまでの過程そのものを大切にしているからである。
これは、人生についての一つの考え方でもある。
結果だけを見れば、同じような商品や作品に見えるかもしれない。しかし、その人にとっては「どのように作ったか」が重要なのだ。人生もまた、何を手に入れたかだけではなく、どのように生きたかに価値を見いだすことができる。
また、職人の道には「一つのことを深く掘り下げたい」という欲求もある。
世の中には、さまざまなことを幅広く経験したい人がいる。一方で、一つの世界に入り込み、そこを何十年もかけて探究したい人もいる。
同じ作業を繰り返しているように見えても、本人には毎回違いが見えている。
昨日より少し良くする。
先月より少し精度を上げる。
十年前には分からなかったことが、今になって分かる。
この「深さ」に魅力を感じるのである。
しかし、職人という生き方が、すべての人にとって幸せなわけではない。
一つのことを繰り返すことに耐えられない人もいる。変化を求める人もいる。さまざまな仕事を経験し、多くの人と関わりながら成長したい人もいる。
そういう人にとっては、職人の道は窮屈に感じられるかもしれない。
だからこそ、「職人は素晴らしい」「一つの道を極めることこそ価値がある」と単純に考える必要はない。
大切なのは、自分が何に価値を感じる人間なのかを知ることである。
「一つのことを深く掘り下げたいのか」
「いろいろなことを経験したいのか」
「自分の技術で評価されたいのか」
「人とのつながりを大切にしたいのか」
「結果よりも、過程に意味を感じるのか」
こうした問いを考えてみると、職業選択というものが、単なる仕事選びではないことに気づく。
それは、自分がどのような時間の使い方をしたいのか、どのような価値を人生に置きたいのかを選ぶことでもある。
職人になる人は、もしかすると「人生を広げる」よりも「人生を深くする」ことを求めているのかもしれない。
もちろん、これも一つの生き方にすぎない。
広い世界を飛び回る人生にも価値がある。多くの仕事を経験する人生にも価値がある。組織の中で仲間と協力する人生にも価値がある。仕事よりも家族や趣味、自由な時間を大切にする人生にも、同じように価値がある。
重要なのは、他人の価値観を借りて、自分の人生を評価しないことである。
職人の姿を見て、「自分も一つの道を極めたい」と思う人がいるかもしれない。
逆に、「自分には一つのことに人生を捧げる生き方は向いていない」と感じる人もいるだろう。
どちらが正しいという話ではない。
職人になる人生には、職人になる人生の美しさがある。そして、職人にならない人生には、職人にならない人生の自由と豊かさがある。
結局のところ、人が何かの道を選ぶということは、「何を得るか」を選ぶだけではない。
「何を大切にして生きるか」を選ぶことなのだ。
そう考えると、職人の生き方を眺めながら、最後に自分自身へ問いかけたくなる。
自分は、人生を広く生きたいのか。それとも、深く生きたいのか。
そして、その答えは、どちらであってもいいのである。
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