フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、独り言などをゆる~く書き綴る。
何の専門家でもない私が経済的自由を得て、人生のこと、世の中のこと、
幸せについてなど、一般庶民の目線で考える。
予測市場はどこまで拡大するのか――株式市場のような巨大市場になる可能性
予測市場という言葉を聞くと、多くの人は「政治家の当落を予想する市場」や「スポーツの勝敗を予想する市場」を思い浮かべるかもしれない。現在の予測市場は、まさにそうした分野を中心に発展している。
しかし、本当に注目すべきなのは、その先である。
もし「未来に関すること」そのものを対象として市場にでき得るとしたら、予測市場は政治やスポーツだけにとどまらない。経済、企業経営、技術、農業、人口、気候、社会現象など、私たちの生活に関係するあらゆる未来が、市場の対象になる可能性がある。
例えば、「今年の米の価格はいくらになるか」「この会社の新商品は100万個売れるか」「金利はいつ下がるか」「この技術は5年以内に実用化されるか」「ある地域の人口は増えるか」といった問いである。
こうした問いに対して、多くの人がそれぞれの知識や情報をもとに売買を行えば、その価格には市場参加者の予想が集約される。
ここに、予測市場の非常に大きな可能性がある。
企業経営を考えてみれば分かりやすい。現在の企業は、売上予測、市場調査、アンケート、専門家の意見、社内会議などを使って未来を予測している。しかし、これらには「誰が予測したのか」という問題がある。社内の立場や人間関係によって、本音とは違う予測が出てくることもある。
ところが市場では、自分の予測に資金を賭けることになる。予測が外れれば損をし、当たれば利益を得る。この仕組みが、参加者に真剣な予測を促す可能性がある。
もし企業が大量の予測市場データを利用するようになれば、予測市場は単なる「未来を当てるゲーム」ではなくなる。
「新商品の発売後、半年以内に100万個売れる確率は何%か」
「原材料価格は半年後に上昇するのか」
「新しい技術はいつ実用化されるのか」
「特定地域の需要は増えるのか」
こうした情報を継続的に市場から取得できれば、経営者は未来についての一つの重要な情報源を手に入れることになる。
つまり、予測市場は「未来情報を価格に変換する装置」になるのである。
この意味では、将来の予測市場が株式市場に似た巨大な情報インフラへ成長する可能性も否定できない。株式市場では、株価を通じて企業の価値や将来への期待が日々変化している。それと同じように、予測市場では「未来についての期待」が価格として表示される。
ただし、ここで注意しなければならない。
予測市場には巨大化を阻む壁も存在する。
第一は、ギャンブルとの境界である。未来を予想して金銭を賭ける以上、娯楽的な賭博と何が違うのかという問題は避けられない。国や地域によって法律も異なるため、自由に拡大できるとは限らない。
第二は、市場操作である。大量の資金を持つ参加者が意図的に価格を動かせば、市場価格そのものが歪んでしまう。
第三は、インサイダー情報である。企業内部の人間だけが知っている情報を利用すれば、公平な市場とは言えなくなる。
さらに、誤情報や流動性不足という問題もある。参加者が少なければ、そこに表示された価格は「社会全体の予測」ではなく、少数の人間の意見にすぎない。
そして最も危険なのは、「市場価格=真実」と考えてしまうことである。
市場は未来を正確に知っているわけではない。市場価格とは、あくまでその時点で参加者が持っている情報と期待を集約した結果である。株価が企業の未来そのものではないのと同じように、予測市場の価格も未来そのものではない。
それでも、予測市場には大きな意味がある。
人間は未来を知ることができない。しかし、未来について考えることはできる。そして、一人の専門家だけで未来を予測するより、多くの人間が異なる情報を持ち寄り、その予測を市場という仕組みで集約したほうが、より有益な情報になる場合がある。
ここには、人間理解という観点からも興味深いものがある。
人は未来を予測するとき、自分の経験、知識、感情、希望、恐怖をすべて持ち込む。予測市場とは、そうした人間の判断を価格に変換する仕組みでもある。
だからこそ、予測市場の未来は「巨大市場になるか、ならないか」という単純な話ではないのだ。
もし法制度が整備され、不正や操作を防ぎ、十分な流動性が確保されれば、予測市場は政治やスポーツを超えて、企業経営や社会政策、技術開発などへ広がっていく可能性がある。
そしてその先には、「未来に関するあらゆる問いに市場価格が存在する社会」が見えてくる。
株式市場が「企業の未来への期待」を価格にする市場だとすれば、予測市場は「未来そのものへの期待」を価格にする市場なのかもしれない。
そう考えると、予測市場は単なる新しい投資・賭けの仕組みではない。
それは、人類がこれまで専門家や会議や勘に頼ってきた「未来を知る」という行為を、市場という仕組みによって再設計する試みなのである。
予測市場が本当に巨大市場になるのか。
その答えは、まだ分からない。
しかし、未来を予測すること自体が価値を持つ限り、そこに市場が生まれる可能性は消えない。もしかすると私たちは今、株式市場とは別の形で、「未来を売買する市場」の誕生に立ち会っているのかもしれない。
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