フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、独り言などをゆる~く書き綴る。
何の専門家でもない私が経済的自由を得て、人生のこと、世の中のこと、
幸せについてなど、一般庶民の目線で考える。
人は、なぜ冒険家を目指すのか
人はなぜ、安定した場所を離れてまで、未知の世界へ向かおうとするのだろうか。
冒険家という言葉からは、険しい山、広大な海、未知の土地、極地や砂漠などを思い浮かべるかもしれない。しかし、冒険家を目指す人の心を動かしているものは、単純な「危険を好む性格」だけではないだろう。
むしろ、その根底には「まだ見たことのないものを見たい」という強い欲求があるのではないだろうか。
人間には、未知を恐れる心と、未知を知りたいという心の両方がある。普通なら危険を避け、できるだけ予測できる環境を選ぶ。しかし一部の人は、未知の世界を前にすると恐怖よりも好奇心が強くなる。
「その先には何があるのだろう」
その問いが、日常よりも強く心を引きつけるのである。
冒険家にとって、重要なのは目的地だけではない。そこへ向かう過程で、自分が何を感じ、何を考え、どこまで自分自身を知ることができるのかということも大きな意味を持つ。
普段の生活では、自分がどれほどの力を持っているのか分からない。社会の中には役割があり、周囲の人間関係があり、便利な道具もある。そのため、自分自身の限界と向き合う機会は意外に少ない。
ところが未知の環境に身を置くと、そうしたものが一つずつ剥がれていく。
頼れるものが少なくなったとき、自分はどう判断するのか。
恐怖を感じたとき、どう行動するのか。
失敗したとき、立ち直ることができるのか。
冒険とは、未知の場所を探す行為であると同時に、自分自身を探す行為でもあるのかもしれない。
また、冒険を求める人の中には、「自由」を求めている人もいる。
社会には、無数の「こうあるべき」が存在する。学校を卒業し、仕事をし、家庭を持ち、安定した生活を築く。もちろん、それも素晴らしい人生の一つである。
しかし、人によっては、その既定の道を歩き続けることに違和感を覚える。
「自分の人生なのだから、自分で行き先を決めたい」
そう考える人にとって、冒険は単なる旅行ではない。それは、自分の人生を自分自身の意思で選択しているという実感なのかもしれない。
一方で、冒険には「認められたい」という欲求が含まれる場合もある。
誰も成し遂げていないことを達成したい。
自分の名前を残したい。
人から「すごい」と言われたい。
そのような承認欲求も、人を未知の世界へ向かわせる原動力になる。
しかし、承認を求めて始めた冒険が、いつの間にか「他人の評価」から自由になるための冒険へ変わることもある。
誰かに認めてもらうためではなく、自分自身が納得するために挑戦する。
そこには、人間の価値観が変化していく面白さがある。
さらに興味深いのは、冒険家を目指す人が必ずしも「死ぬほど危険なこと」を求めているわけではないということである。
むしろ本当に求めているのは、「生きているという感覚」なのかもしれない。
安全で便利な生活は、私たちを守ってくれる。しかし同時に、毎日が似たようなものになってしまうこともある。
昨日と今日が同じように過ぎ、今日と明日も同じように過ぎていく。
その中で、「もっと強く生きていると感じたい」と思う人がいる。
未知の場所に立ったとき、人は普段よりも敏感になる。風を感じ、音を聞き、危険を察知し、自分の判断に集中する。そうした瞬間に、「自分はいま確かに生きている」と感じるのかもしれない。
ただし、ここで一つ大切なことがある。
冒険する人生が、冒険しない人生より優れているというわけではない。
未知の世界へ飛び出すことに価値を感じる人がいる一方で、仲間や家族との穏やかな時間、慣れ親しんだ町、毎日の仕事、静かな読書の時間に人生の価値を見いだす人もいる。
どちらが正しいという話ではない。
大切なのは、「自分にとって何が人生を豊かにするのか」を知ることである。
冒険家を目指す人は、未知の世界に答えを探しに行く。
一方、冒険を選ばない人は、すでに身近にある世界を深く掘り下げていく。
外の世界へ向かうことだけが冒険ではない。家族を大切にすることも、一つの人生を丁寧に生きることも、誰にも見えない自分自身の弱さと向き合うことも、また別の形の冒険である。
結局、人が冒険を求める理由は、「遠くへ行きたい」という一言では説明できない。
未知を知りたいのかもしれない。
自由になりたいのかもしれない。
自分の限界を知りたいのかもしれない。
誰かに認められたいのかもしれない。
あるいは、自分が生きていることを強く感じたいのかもしれない。
では、自分はどうだろう。
もし誰にも評価されず、何の記録も残らないとしても、それでも挑戦してみたいことはあるだろうか。
その問いに対する答えの中に、その人が本当に求めているものが隠れているのかもしれない。
そして、もし「私は冒険などしたくない」と思うのであれば、それもまた一つの大切な答えである。
人生には、未知へ飛び込む勇気だけではなく、今ここにあるものを大切にする勇気もある。
遠くへ行く人生にも価値がある。
遠くへ行かない人生にも、同じだけ価値がある。
大切なのは、他人が考える「面白い人生」を生きることではない。
自分自身が、「この人生を生きてよかった」と思える道を選ぶことである。
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