フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、独り言などをゆる~く書き綴る。
何の専門家でもない私が経済的自由を得て、人生のこと、世の中のこと、
幸せについてなど、一般庶民の目線で考える。
人は、なぜ消防士を目指すのか。――命を守る使命感の奥にあるもの
火災の現場では、多くの人が逃げようとする。その中で、消防士はただ一人、炎の中へ向かっていく。
危険を避けることが人間の本能であるなら、その本能に逆らうような職業を、なぜ人は自ら選ぶのだろうか。
もちろん、「体を動かす仕事が好きだから」「安定した公務員だから」「幼い頃に消防車に憧れたから」という理由もあるだろう。しかし、それだけでは、命の危険を伴う現場へ何十年も立ち向かい続ける理由にはならない。
消防士という仕事を選ぶ人の心には、「誰かを守りたい」という強い価値観があるように思う。
ここでいう「守る」とは、単に火を消すことではない。
家族を守ること。地域を守ること。誰かの人生そのものを守ることである。
人は、自分のためだけでは、驚くほど強くなれないことがある。
しかし、「誰かのため」であれば、自分でも信じられないほどの力を発揮できる。
消防士とは、その「誰かのために生きる」という価値観を、仕事そのものにした人たちなのかもしれない。
興味深いのは、消防士には目立ちたがり屋が少ないことである。
もちろん例外はあるが、多くの消防士は、派手に活躍することよりも、「何事も起こらない一日」を喜ぶ。
火災が起きない。
事故が起きない。
救急車を出さずに済む。
本来ならニュースにならない一日こそが、彼らにとって最も望ましい一日なのである。
これは非常に特徴的な価値観である。
多くの仕事は成果を「増やす」ことが評価される。
営業なら売上を増やす。
研究者なら新しい発見をする。
経営者なら利益を伸ばす。
しかし消防士は違う。
被害を減らすことが成果なのである。
何も起こらなかったことが成功なのである。
だから消防士には、「主役になりたい」という気持ちより、「縁の下で社会を支えたい」という気持ちが強い人が多いように思う。
また、消防士は自然の恐ろしさも、人間の弱さも、誰より近くで見ている。
火災。
交通事故。
自然災害。
急病。
そこには人生の終わりが突然訪れる現実がある。
昨日まで元気だった人が、今日には命を落とすこともある。
だからこそ、消防士は「今、生きていること」の重みを知る。
今日という一日が当たり前ではないことを知っている。
その経験は、人の人生観そのものを大きく変えていく。
一方で、この仕事には精神的な負担も大きい。
助けられなかった命。
間に合わなかった現場。
忘れられない光景。
どれだけ訓練を積んでも、人間である以上、心が傷つかないわけではない。
それでも翌日にはまた出動しなければならない。
そこには強さだけではなく、「責任を引き受ける覚悟」がある。
消防士は、決して恐怖を感じない人ではない。
恐怖を感じながらも、一歩を踏み出せる人なのである。
勇気とは、恐怖がないことではなく、恐怖よりも使命感を優先できることである。
そして、その使命感は、誰かから命令されて生まれるものではない。
自分自身が「この仕事を選ぶ」と決めた瞬間から育まれていくものなのである。
私たちは消防士を見ると、「すごい人だ」と思う。
確かに、その勇気や献身は尊敬に値する。
しかし、その姿は決して特別な人間だけが持つものではない。
家族を守ろうとする親もいる。
生徒を守ろうとする教師もいる。
患者を守ろうとする医療従事者もいる。
友人を支えようとする人もいる。
形は違っても、「誰かを守りたい」という思いは、多くの人の中に存在している。
消防士は、その思いを最も分かりやすい形で仕事にしている人なのである。
人は、それぞれ違う人生を選ぶ。
危険な現場へ向かう人もいれば、日常を静かに支える人もいる。
最前線で命を救う人もいれば、家庭や地域、職場で誰かの安心を守り続ける人もいる。
どちらが優れているということではない。
社会は、さまざまな「守る」が積み重なることで成り立っている。
消防士を目指す人生には大きな価値がある。
しかし、その道を選ばなくても、自分なりの方法で誰かを支え、誰かを守りながら生きる人生にも、同じだけ尊い価値があるのである。
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