フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、独り言などをゆる~く書き綴る。
何の専門家でもない私が経済的自由を得て、人生のこと、世の中のこと、
幸せについてなど、一般庶民の目線で考える。
人は、なぜ料理人になるのか
人はなぜ料理人になるのだろうか。
料理が好きだから。食べることが好きだから。そんな答えはもちろんある。しかし、「料理が好き」というだけで、職業として料理を選ぶとは限らない。料理を趣味として楽しむ人もいれば、別の仕事をしながら家庭で料理を楽しむ人もいる。
それでも、料理を生涯の仕事にしたいと思う人がいる。
その背景には、料理そのもの以上に、「自分は何をして生きたいのか」という問いに対する、その人なりの答えがあるのではないだろうか。
料理人を目指す人の中には、「人を喜ばせること」に強い価値を感じる人がいる。
自分が作った料理を食べた人が笑顔になる。おいしいと言ってくれる。その瞬間に、自分の仕事が誰かの幸福につながったことを実感できる。
世の中には、仕事の成果が目に見えにくいものも多い。その点、料理には一つの分かりやすさがある。自分の手を使って作ったものが、目の前の人に届き、その反応が返ってくる。
「誰かの役に立ちたい」という気持ちを、料理という形で実現したい人がいても不思議ではない。
一方で、料理人になりたい理由が「人を喜ばせたい」だけとは限らない。
料理を、自分自身の表現手段として捉える人もいる。
食材をどう組み合わせるか。味をどう構成するか。盛り付けをどうするか。同じ材料を使っても、作る人によって完成する料理は違ってくる。
そこには、絵画や音楽と似たところがある。
「自分にしか作れないものを生み出したい」
そんな欲求が、料理人という道につながる場合もあるだろう。
また、「技を極めたい」という人もいる。
料理の世界には、長い時間をかけて身につけていく技術がある。包丁の使い方、火の入れ方、食材の扱い方、味の組み立て方など、経験を積むほど細かな違いが分かるようになる。
こうした世界に魅力を感じる人にとって、料理人という仕事は「一生かけて上達できる道」なのかもしれない。
昨日より今日、今日より明日。
少しずつ技術を高めていくことそのものに、生きる意味を感じる人もいるのである。
しかし、ここで少し面白いことに気づく。
「料理人になりたい」という同じ結果に至っていても、その理由はまったく違うかもしれないのだ。
人を喜ばせたい人。
自分を表現したい人。
技術を極めたい人。
自分の店を持ちたい人。
食文化を次の世代に伝えたい人。
あるいは、子供のころに食べた料理や、誰かに作ってもらった料理の記憶が、その人の人生を動かしていることもある。
人間の職業選択は、必ずしも合理的な計算だけで決まるものではない。
「これが好きだった」
「この人に憧れた」
「この仕事をしているときの自分が好きだった」
そんな、本人にも説明しきれない感情が人生の方向を決めることもある。
そして、料理人という道には、当然ながら厳しさもある。
好きな料理を毎日作ることと、料理を仕事にすることは同じではない。自分の好きなものだけを作れるわけでもない。時間、体力、衛生管理、人間関係、経営など、さまざまな現実と向き合う必要がある。
それでも、その道を選ぶ人がいる。
それは、「好き」という感情だけではなく、厳しさを含めてもなお、その仕事をすることに意味を感じているからなのだろう。
ここで、私たちは自分自身にも問いかけることができる。
自分は、何かを作ることに喜びを感じるだろうか。
誰かに喜んでもらうことが、自分の幸福につながるだろうか。
一つの技術を何十年もかけて磨く生き方に魅力を感じるだろうか。
それとも、同じ場所に長くとどまるより、さまざまなことを経験する人生のほうが自分には合っているだろうか。
料理人になる人が特別なのではない。
その人には、その人なりの「こう生きたい」という感覚があり、その感覚と料理という仕事が結びついただけなのかもしれない。
そして大切なのは、料理人にならない人生にも、同じだけの価値があるということである。
料理を仕事にせず、家族のために料理をする人もいる。料理を趣味として楽しむ人もいる。料理とはまったく違う仕事をしながら、休日に料理を楽しむ人もいる。
どちらが優れているという話ではない。
大切なのは、他人が選んだ道を見て「自分もそうしなければならない」と思うことではなく、その姿を鏡にして、自分自身の価値観を考えてみることである。
料理人という道を選ぶ人生もある。
料理人にならない人生もある。
そのどちらにも、その人にしか歩めない人生がある。
結局のところ、職業とは「何をするか」だけではなく、「何を大切にして生きるか」を表す一つの形なのかもしれない。
だからこそ、料理人という道を眺めながら、最後に自分自身へ問いかけてみたい。
「私は、何をしているときに、自分の人生を生きていると感じるだろうか」
その答えは、料理の中にある人もいれば、まったく別の場所にある人もいる。
どちらでもいい。
自分にとって大切なものに気づき、それを大切にして生きる。
それだけで、その人生には十分な価値があるのである。
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