フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、独り言などをゆる~く書き綴る。
何の専門家でもない私が経済的自由を得て、人生のこと、世の中のこと、
幸せについてなど、一般庶民の目線で考える。
人は、なぜ小説家になるのか。
小説家になろうとしても、必ず成功できるわけではない。書いた作品が読まれる保証もなければ、安定した収入が得られる保証もない。それでも、長い時間をかけて物語を書き続ける人がいる。
なぜそこまでして小説家になろうとするのだろうか。
そこには、単純な「作家になりたい」という夢だけでは説明できない、人間の深い欲求が隠れているような気がする。
自分の中にあるものを言葉にしたい
小説を書く人の中には、自分の中にある感情や考えを、どうしても言葉にしたいという人がいる。
人生には、誰かに説明しようとしてもうまく説明できない感情がある。寂しさ、怒り、憧れ、後悔、嫉妬、愛情、孤独。そして、「なぜ自分はこんなことを考えるのだろう」という、自分自身でも理解しきれない心の動きがある。
小説を書くという行為は、そうした曖昧なものに一つずつ言葉を与えていく作業でもある。
自分の中にあるものを文章にしてみる。
すると、「自分はこんなことを考えていたのか」と初めて気づくことがある。
つまり小説を書くことは、他人に何かを伝える行為であると同時に、自分自身を理解するための行為でもあるのだ。
他人の人生を生きてみたい
もう一つ、小説を書く人を動かす大きな欲求がある。
それは、「自分ではない誰かの人生を生きてみたい」という欲求である。
現実の人生では、人間は一つの人生しか生きられない。
自分として生まれ、自分の身体を持ち、自分の環境の中で、自分の人生を歩いていく。
しかし、小説の中なら違う。
大金持ちにもなれる。王にもなれる。犯罪者にもなれる。老人にも子どもにもなれる。自分とは正反対の価値観を持つ人間の心の中にも入っていける。
これは、人間にとって非常に不思議で、豊かな体験である。
「もし自分がこの人だったら、どうするだろう」
そう考えることで、人間について少しずつ理解できるようになる。
だから小説家には、人間そのものに強い関心を持つ人が多いのかもしれない。
現実ではできないことを、物語の中で試してみる
人生には、「あのとき別の選択をしていたら」という場面がある。
別の仕事を選んでいたら。
別の人と出会っていたら。
あのとき勇気を出していたら。
反対に、あの決断をしなければよかったと思うこともある。
しかし現実の人生では、過去に戻ることはできない。
小説には、それができる。
「もし、あのとき別の道を選んでいたら」という人生を、物語の中で試すことができるのである。
小説は、現実から逃げるためだけのものではない。
むしろ現実では一度しか試せない人生を、何度も考え直すための場所なのかもしれない。
誰かに読んでもらいたいのか、それとも自分のためなのか
もちろん、小説を書く理由は人によって違う。
「自分の作品を多くの人に読んでもらいたい」という人もいるだろう。
自分の名前を残したい人もいる。
世の中に何かを問いかけたい人もいる。
あるいは、ただ自分が書きたいから書くという人もいる。
ここには優劣はない。
「有名になりたい」という欲望も、人間として自然なものである。
「誰にも読まれなくても、自分は書きたい」という欲望も、同じように尊い。
むしろ興味深いのは、同じ「小説を書く」という行為の中に、これほど違った価値観が存在することである。
小説を書くことは、人生をどう見るかということ
小説家は、人生を「物語」として見る傾向があるのかもしれない。
人がなぜその言葉を発したのか。
なぜその人を好きになったのか。
なぜ裏切ったのか。
なぜ夢を諦めたのか。
なぜ最後まで諦めなかったのか。
一見すると何気ない出来事にも、「その人にとってどんな意味があったのか」と考える。
これは小説家だけに必要な視点ではない。
私たち自身も、自分の人生を一つの物語として眺めることができる。
「あの出来事があったから、今の自分がいる」
そう考えると、失敗や挫折さえも、人生の一部分として違った意味を持ちはじめる。
小説家は、そうした「人生の意味」を、登場人物を通して何度も考えているのかもしれない。
あなたは、自分の人生を書いてみたいだろうか
もし誰にも評価されず、誰にも褒められず、収入にもならないとしても、それでも書きたいものがあるだろうか。
もしあるとすれば、それは何だろう。
逆に、自分の人生を文章にすることより、実際に人と話したいという人もいるだろう。ものを作りたい人もいる。数字を扱いたい人もいる。自然の中で働きたい人もいる。家族と静かに暮らすことに、大きな価値を感じる人もいる。
人間は、自分にとって意味のあるものを、それぞれ違う場所に見つける。
誰かの物語を書く人もいれば、自分自身の人生を静かに生きる人もいる。
そして考えてみれば、私たちは皆、一冊の本には書ききれないほどの人生を生きている。
小説家は、その人生を言葉にする。
小説家ではない人は、自分の生き方そのもので、それを表現する。
大切なのは、自分は何に心を動かされ、何を残したいと思い、どんな人生なら「自分らしく生きた」と感じられるのか、ではないかと思う。
小説家という道を考えることは、実はその問いを、自分自身に投げかけることなのだ。
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