フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、独り言などをゆる~く書き綴る。
何の専門家でもない私が経済的自由を得て、人生のこと、世の中のこと、
幸せについてなど、一般庶民の目線で考える。
人は、なぜ起業家になるのか。
会社を辞めて、自分で事業を始める。
商品をつくり、サービスを考え、人を雇い、売上をつくり、すべての責任を自分で背負う。
一般的には「起業家」と聞くと、行動力があり、リスクを恐れず、大きな夢を持っている人を思い浮かべるかもしれない。
しかし、人は本当に「成功したいから」だけで起業するのだろうか。
その内側を少し深く見てみると、起業という道を選ぶ人には、さまざまな価値観があることが分かる。
「自分で決めたい」という人
起業家を目指す人の中には、自分のことを自分で決めたいという思いが強い人がいる。
会社員であれば、上司がいる。組織の方針がある。会社のルールがある。
自分では「こうしたほうがいい」と思っていても、必ずしもその通りにできるとは限らない。
そこで、「だったら自分で会社をつくればいい」と考える。
これは単なる反抗心ではない。
自分の判断で進み、その結果も自分で引き受けたいという、強い自己決定への欲求である。
誰かに決められた道を歩くより、自分で道をつくるほうが生きている実感を得られる人もいる。
「自分の考えを形にしたい」という人
また、頭の中に「こんな商品があったらいい」「こんなサービスを世の中に届けたい」という思いを持つ人もいる。
アイデアを思いつくだけなら、誰にでもできる。
しかし、それを実際の形にしてみたいと思う人がいる。
会社をつくることは、その人にとって目的ではない。
自分の考えを現実の世界で試してみるための手段なのである。
失敗するかもしれない。
誰にも評価されないかもしれない。
それでも、「一度やってみたい」という気持ちが勝つ。
こうした人にとって、起業とは仕事というより、一種の挑戦なのかもしれない。
「お金を稼ぎたい」という人
もちろん、経済的な成功を求めて起業する人もいる。
会社員として働いている限り、収入にはある程度の上限がある。
しかし、自分で事業を持てば、成功したときの利益を大きくすることができる。
これは決して悪い価値観ではない。
お金があれば、家族を守ることもできる。自由な時間を買うこともできる。社会に貢献するために使うこともできる。
問題は、お金そのものを目的にしてしまったときである。
売上が増えても、さらに売上を求める。
資産が増えても、もっと増やしたくなる。
いつの間にか「豊かになるための事業」が、「事業を拡大し続けるための人生」になってしまうこともある。
起業には、このような終わりのない競争に入ってしまう危険もある。
「自由になりたい」という人
起業の動機として、「自由になりたい」という思いも大きい。
しかし、ここには少し皮肉なところがある。
会社員を辞めれば自由になれると思っていたのに、実際には会社員以上に仕事から離れられなくなることがある。
顧客がいる。
従業員がいる。
銀行への返済がある。
売上を維持しなければならない。
会社員なら休日に仕事をしなくても、会社そのものは動いていく。
しかし、自分の会社では、自分が止まれば事業も止まってしまうことがある。
つまり、起業とは「自由を得ること」ではなく、自分が選んだ責任を引き受けることによって、自分なりの自由をつくることなのかもしれない。
「失敗しても、自分で選びたい」
起業家の心理を考えるうえで、非常に重要なのが「後悔」に対する考え方である。
安定した会社員生活を続ければ、生活は安定するかもしれない。
しかし、何年も経った後に、「あのとき挑戦しておけばよかった」と思う人もいる。
起業する人の中には、成功する確信があるから挑戦するのではなく、挑戦しなかったことを後悔したくないから挑戦する人もいる。
これは成功願望とは少し違う。
結果よりも、「自分で選んだ」という事実を大切にする人生観である。
たとえ失敗しても、「自分はやってみた」と思えるなら、それで納得できる。
そういう人にとっては、安定よりも挑戦のほうが価値を持つのである。
では、起業しない人はどうなのか
ここで忘れてはいけないことがある。
起業しないことは、決して挑戦から逃げていることではない。
安定した会社で働きながら、家族との時間を大切にする。
専門的な仕事を極める。
趣味や地域活動に時間を使う。
決められた役割の中で、誠実に仕事をする。
こうした人生にも、同じように大きな価値がある。
むしろ、自分には起業が向いていないと分かったうえで、あえて会社員という道を選ぶ人もいる。
人にはそれぞれ、安心を求める人もいれば、変化を求める人もいる。
責任を自分で背負いたい人もいれば、組織の一員として力を発揮したい人もいる。
どちらが優れているという話ではない。
起業家という生き方が問いかけるもの
起業家という存在を考えていると、結局、自分自身の人生について考えさせられる。
あなたは、自分で決めたい人だろうか。
それとも、信頼できる組織の中で力を発揮したい人だろうか。
安定よりも挑戦を選びたいだろうか。
それとも、安定した生活の中で家族や趣味を大切にしたいだろうか。
大きな成功を目指したいだろうか。
それとも、「これくらいあれば十分だ」と思える暮らしを守りたいだろうか。
起業家になることが正解なのではない。
会社員でいることが正解なのでもない。
大切なのは、他人が価値あると思っている生き方ではなく、自分自身が何を大切にして生きたいのかを知ることである。
起業する人には、起業する人の人生がある。
起業しない人には、起業しない人の人生がある。
挑戦する人生にも価値があり、安定を守る人生にも価値がある。
結局、人が選ぶべき道とは、「世間から見て成功している道」ではなく、自分自身が納得して歩ける道なのかもしれない。
そして「あなたは起業家に向いているか」と問う前に、本当に考えるべきなのは、
「あなたは、どんな生き方なら、自分の人生を自分のものだと思えるだろうか」
という問いなのではないだろうか。
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