フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、独り言などをゆる~く書き綴る。
何の専門家でもない私が経済的自由を得て、人生のこと、世の中のこと、
幸せについてなど、一般庶民の目線で考える。
人は、なぜ俳優になるのか。
俳優という職業を考えるとき、多くの人はまず「演技が好きだから」「人前に立つのが好きだから」と考えるかもしれない。しかし、それだけでは説明できないほど、俳優を目指す人の動機は複雑である。
なぜなら俳優とは、自分自身を表現する仕事であると同時に、自分ではない誰かを生きる仕事でもあるからだ。
自分とは違う人物の感情を想像し、その人の人生を一時的に引き受ける。悲しみ、怒り、喜び、嫉妬、愛情、孤独。普段の自分なら経験できない感情を、別の人間として体験することができる。
そこには、「自分の人生だけでは足りない」という感覚があるのかもしれない。
一人の人間が生きられる人生は、一つしかない。生まれた場所も、家庭も、時代も、自分で自由に選べるわけではない。そして、一度選んだ人生を最初からやり直すこともできない。
しかし俳優は、役を通して別の人生を生きることができる。
貧しい人にも、裕福な人にも、善人にも悪人にも、勇敢な人にも臆病な人にもなれる。自分とはまったく異なる人生を想像し、その人物の立場から世界を見ることができる。
これは、単なる「演技」以上の魅力なのかもしれない。
一方で、「誰かに見てもらいたい」という欲求もあるだろう。
人間には、自分の存在を認めてもらいたいという欲求がある。自分が何を考え、何を感じ、何を表現しているのかを誰かに受け止めてもらいたい。その気持ちは決して特別なものではない。
俳優という道には、その欲求を強く満たす可能性がある。
舞台やスクリーンの上で演じたものが、多くの人の心を動かす。そして「あの演技が忘れられない」と言われる。自分が存在した証が、誰かの記憶の中に残っていく。
これは非常に強い喜びである。
しかし、そこには危うさもある。
他人から評価されることが、自分の価値そのものになってしまえば、評価されないときに自分まで否定されたように感じてしまうからだ。
俳優を続けるということは、常に「見られる自分」と向き合うことでもある。人気が出れば注目される。しかし、人気は永遠ではない。若いときには求められた役が、年齢とともに変わることもある。
それでも俳優を続ける人がいる。
そこには、「評価されるため」だけではない、もっと深い動機があるのかもしれない。
たとえば、「人間を知りたい」という欲求である。
人間は不思議な存在だ。なぜ人は裏切るのか。なぜ愛しているのに傷つけるのか。なぜ憎んでいる相手を助けることがあるのか。なぜ成功している人が孤独を感じるのか。
俳優は役を演じながら、こうした人間の矛盾を考える。
そして、自分とは違う人物を演じることで、「人間とは何なのか」という問いに近づいていく。
そう考えると、俳優という道は「自分を見せる仕事」であると同時に、「自分以外の人間を理解する仕事」でもある。
また、俳優を目指す人の中には、「普通の人生では物足りない」と感じる人もいるだろう。
決められた時間に働き、決められた役割を果たし、安定した生活を送る。それが幸福だと考える人もいる。しかし別の人にとっては、予測できない人生のほうが魅力的に映る。
成功する保証がなくても、自分の可能性に賭けてみたい。
失敗するかもしれない。それでも、一度しかない人生なのだから、自分が本当にやりたいことに挑戦してみたい。
そう考える人にとって、俳優という道は非常に魅力的なのだろう。
ただし、ここで「夢を追う人生のほうが素晴らしい」と結論づける必要はない。
俳優にならず、安定した仕事を選ぶ人生にも価値がある。家族との時間を大切にする人生にも価値がある。目立つことなく、静かに自分の好きなことを続ける人生にも価値がある。
むしろ大切なのは、「自分は何を求めているのか」を知ることなのだろう。
人から認められたいのか。
別の人生を生きてみたいのか。
人間そのものを理解したいのか。
自分の可能性を試したいのか。
それとも、誰にも決められない生き方をしたいのか。
俳優を目指す人の心の中には、こうしたさまざまな思いが重なっているのかもしれない。
そして、ここで少し立ち止まって、自分自身に問いかけてみたい。
「もし誰からも評価されないとしても、私は何かを表現したいだろうか」
「一度しかない人生を、私はどのように生きたいだろうか」
「私は、自分ではない誰かの人生を理解してみたいだろうか」
大切なのは、どの職業を選んだかではなく、その選択の中に自分自身の価値観があるかどうかである。
華やかな舞台に立つ人もいれば、誰にも見られない場所で静かに人生を築く人もいる。
人生には、拍手される生き方だけがあるのではない。
誰かを演じる人生もあれば、ただ自分自身として生きる人生もある。
そして後者もまた、決して小さな人生ではないのである。
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