人は、なぜ大学教授を目指すのか――「答え」よりも「問い」を愛する人たち

フリーマン柴賢二郎の流儀

~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~

世の中に起きている不思議なことや、独り言などをゆる~く書き綴る。

何の専門家でもない私が経済的自由を得て、人生のこと、世の中のこと、

幸せについてなど、一般庶民の目線で考える。

 

人は、なぜ大学教授を目指すのか――「答え」よりも「問い」を愛する人たち

 

子どもの頃、「どうして空は青いのだろう」「なぜ人は争うのだろう」と、一つの疑問を何日も考え続ける人がいる。

 

多くの人は「そういうものだ」と答えを受け入れて次へ進む。しかし、ごく一部の人は、その答えに満足しない。「本当にそうなのか」と、さらに深く掘り下げたくなる。

 

大学教授という道を選ぶ人は、このような「問いを持ち続ける力」が非常に強い人である。

 

一般的には、大学教授とは学生に講義を行い、研究をする職業だと思われている。しかし本人にとって本質は、教えることよりも「知の探究」にある場合が少なくない。

 

彼らは「まだ誰も知らないこと」を知りたいのである。

 

世の中には完成された知識がたくさん存在する。しかし大学教授が魅力を感じるのは、その外側に広がる未知の世界である。

 

誰も解いたことのない問題。

 

誰も説明できない現象。

 

誰も気づかなかった視点。

 

そこへ一歩踏み込むことに、人生そのものの価値を見いだしている。

 

だから大学教授は、すぐに結果が出ない努力にも耐えられる。

 

研究とは、何年も成果が出ないことが珍しくない世界である。

 

毎日論文を読み、実験し、失敗し、考え直す。

 

それでも前へ進み続ける。

 

普通なら心が折れてしまうような時間を、「面白い」と感じられる人なのである。

 

それは知識欲というより、探究欲と言ったほうが近い。

 

「知っている」ことより、「まだ知らない」ことに価値を感じる人なのである。

 

また、大学教授には「自分の考えを育てたい」という欲求も強い。

 

学校教育では、多くの場合、正解を学ぶことが中心となる。

 

しかし大学では、「何が正解なのか」を考えること自体が学問になる。

 

そのため大学教授は、自分自身の仮説を立て、それを検証し、時には自ら否定する。

 

昨日まで正しいと思っていたことが、今日には覆ることもある。

 

それでも構わない。

 

真実に近づけるなら、自分の間違いを認めることすら喜びなのである。

 

この姿勢は、人生そのものにも表れる。

 

「私は正しい」と言い張るよりも、「もっと良い考え方があるかもしれない」と考える。

 

固定観念よりも柔軟性を大切にする。

 

知識とは、勝つための武器ではなく、世界を理解するための道具なのである。

 

一方で、大学教授は孤独とも向き合う。

 

研究内容によっては、周囲に理解者がほとんどいないこともある。

 

何年も一人で同じテーマを考え続けることも珍しくない。

 

世間から見れば「そんな研究に意味があるのか」と思われることさえある。

 

しかし本人は、それでも歩みを止めない。

 

「意味があるから研究する」のではなく、「知りたいから研究する」のである。

 

この価値観は非常に純粋である。

 

利益や名誉よりも、知ること自体が報酬になっている。

 

もちろん現実には、教授にも競争がある。

 

研究費を獲得し、論文を書き、学生を指導し、大学運営にも携わる。

 

決して自由気ままな仕事ではない。

 

それでもこの道を歩む人は、「考え続けられる人生」を選んでいる。

 

また、多くの大学教授は「知識を次の世代へ渡したい」という思いも持っている。

 

単なる情報を教えるのではない。

 

「考える方法」を伝えたいのである。

 

答えを暗記する人ではなく、自分で問いを立てられる人を育てたい。

 

だから良い大学教授ほど、学生に簡単な答えを与えない。

 

「君はどう思う?」

 

この一言を何より大切にする。

 

それは学生を突き放しているのではない。

 

考える力を信じているからである。

 

大学とは、知識を受け取る場所ではなく、自分自身の知性を育てる場所なのだと知っているのである。

 

もちろん、大学教授という道だけが正解というわけではない。

 

世の中には、知識を生み出す人も必要だが、その知識を社会で活かす人も同じくらい必要である。

 

研究者が発見したことを製品にする人。

 

教育に活かす人。

 

医療に活かす人。

 

地域で役立てる人。

 

知識は、誰かが使って初めて社会の力になる。

 

大学教授は「問い」を育てる人であり、その問いを現実の世界で形にする人もまた、かけがえのない存在なのである。

 

人はそれぞれ、自分らしい形で世界と関わっている。

 

未知を探究する人生にも価値がある。

 

目の前の人を支える人生にも価値がある。

 

新しい知識を生み出す人生にも、その知識を誰かの幸せへ変える人生にも、同じだけ尊さがある。

 

大切なのは、どの肩書きを選ぶかではない。

 

自分は何を知りたいのか、何を大切にして生きたいのか。

 

その問いに向き合いながら歩む人生こそが、その人だけの豊かな人生なのである。

 

 

 

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