フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、独り言などをゆる~く書き綴る。
何の専門家でもない私が経済的自由を得て、人生のこと、世の中のこと、
幸せについてなど、一般庶民の目線で考える。
本当は嫌なのに、なぜ人は自分の労働を美化するのか。
「この仕事にはやりがいがある」
そう言いながら、毎日のように仕事の愚痴をこぼしている人がいる。
上司が嫌い。
同僚とも合わない。
仕事は面白くない。
朝になると会社へ行きたくない。
それでも、「仕事にはやりがいがある」「自分は成長できている」と言い聞かせながら働き続ける。
もちろん、本当にそう思っているのなら何も問題はない。
あるいは愚痴が言えるのならまだいい方だ。
問題なのは、本心では「嫌だ」と感じているのに、自分を納得させるために仕事を美化してしまうことである。
人間には、自分が置かれている状況を正当化しようとするところがある。
「こんなに我慢している自分は偉い」
「大変だけど、これも人生経験だ」
「嫌な上司とも上手く付き合わなければならない」
「ここを辞めたら収入がなくなる」
「どんな仕事にも嫌なことはある」
こうやって一つ一つ理由をつくり、自分自身を納得させる。
それは、ある意味では心を守るための方法なのだろう。
しかし、これを長年続けていると、自分が本当は何を望んでいるのか分からなくなってしまう。
「私は、本当はこの仕事が嫌なのだ」と薄々分かっているのに、それを「やりがい」という言葉で覆い隠してしまうのである。
嫌だと認めてしまうと自分が苦しくなるから、『やりがい』という言葉を使って自分を納得させてしまうのだ。
ここであなたに、一つの質問をしてみたい。
もし、生活に必要なお金がすでに十分にあり、働かなくても困らないとしたら、それでも今の仕事を続けるだろうか。
給料が一円ももらえなくても、その職場へ行きたいと思うだろうか。
嫌な上司がいても、嫌な同僚がいても、同じ仕事をしたいと思うだろうか。
もちろん、「それでも働きたい」と答える人もいるだろう。
その仕事が好きだから。
誰かの役に立ちたいから。
仕事そのものが楽しいから。
そこに自分の生きる意味を感じているから。
それなら素晴らしいことである。
しかし、「いや、お金をもらえないなら絶対にやらない」と思ったのなら、それもまた正直な答えである。
それでいいのだと思う。
労働とは、本来、生活のために自分の時間や能力を提供し、その対価として報酬を受け取る行為である。
「働くことは尊い」という価値観は大切だ。
しかし、「嫌な仕事を我慢して続けることが尊い」という話とは違う。
我慢できる自分を必要以上に褒める必要もない。
嫌なことを嫌だと思うことは、怠けではない。
もっと自分の気持ちに素直になっていいのである。
もちろん、現実にはそう簡単ではない。
会社を辞めれば収入がなくなる。
住宅ローンもある。
将来の出費が心配だ。
だから、すぐに仕事を辞めるべきだと言っているのではない。
むしろ大切なのは、「辞められない」と「辞めたくない」を混同しないことである。
今は辞められない。
しかし、本当は辞めたい。
そう自覚するだけでもいい。
そうすれば、「では、どうすれば辞められるのか」という次の問題を考えられるようになる。
貯金を増やす。
支出を減らす。
転職する。
副業を始める。
資格を取る。
働く時間を減らす。
別の収入源をつくる。
選択肢は少しずつ増やすことができる。
労働者は、企業と比べれば圧倒的に弱い立場に置かれやすい。
生活のために給料が必要だからである。
だからこそ、会社の言うことを何でも受け入れなければならないような気持ちになってしまう。
しかし、本来、労働は人間同士の取引である。
会社は労働力を必要としている。
労働者はその対価として給料を必要としている。
本来は対等な関係なのだ。
もちろん、仕事には責任がある。
努力も必要である。
嫌なことから逃げてばかりでは、人生を切り開くこともできない。
だからこそ、「努力すること」と「自分を犠牲にすること」を混同してはいけない。
努力は、自分の未来を良くするためにするものだ。
自分を追い詰めるためにするものではない。
私は、もっと人は「自分基準」で生きてもいいと思う。
他人がどう思うかではなく、自分はどう感じるのか。
世間から立派に見えるかではなく、自分は納得しているのか。
「みんな我慢しているから」ではなく、「自分はどうしたいのか」。
それらの問いを持って生きていくことが大切なのだと思う。
本当は嫌なのに、「やりがいがある」と自分に言い聞かせる必要はない。
「私はこの仕事が嫌いだ。でも、今は必要だから働いている」
それでもいい。
むしろ、そのほうがずっと正直である。
自分の本心を認めたところから、人生の選択肢は始まる。
人間は、自分をだましてまで立派に見える生き方などする必要はない。
もっと素直でいい。
もっと自分らしくていい。
人生は、他人から「偉い」と評価されるためにあるのではない。
自分自身が、「この人生でよかった」と思える方向へ歩いていくためにあるのだから。
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