人は、なぜ教師を目指すのか。――知識を伝える以上に、「人の可能性」を信じたい人たち

フリーマン柴賢二郎の流儀

~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~

世の中に起きている不思議なことや、独り言などをゆる~く書き綴る。

何の専門家でもない私が経済的自由を得て、人生のこと、世の中のこと、

幸せについてなど、一般庶民の目線で考える。

 

人は、なぜ教師を目指すのか。――知識を伝える以上に、「人の可能性」を信じたい人たち

 

子どもの頃、「先生になりたい」と一度はそう思ったことがある人も少なくないだろう。しかし実際に教師という道を選ぶ人は、それほど多くはない。

 

教師は、教科を教える仕事であると思われがちである。

 

しかし本質は少し違う。

 

教師とは、「人が成長していく姿」に人生の喜びを感じる人が選ぶ仕事なのではないだろうか。

 

もちろん、教師を目指す理由は一つではない。

 

子どもが好きだからという人もいれば、自分が恩師に救われた経験がある人もいる。

 

教育によって社会を良くしたいという理想を持つ人もいるだろう。

 

しかし、その根底には共通する価値観があるように思う。

 

それは、「人は変われる」と信じていることである。

 

教師という仕事は、すぐに成果が見える仕事ではない。

 

一生懸命教えても理解してもらえない日もある。反抗されることもある。努力が報われないことも少なくない。

 

それでも教師は、今日できなかったことが、半年後、一年後にできるようになるかもしれないと信じ続ける。

 

目の前の「今」ではなく、「未来の可能性」を見ているのである。

 

だから教師には、忍耐力が必要なのだ。

 

また、人は自分が信じているものに時間を使う。

 

教師は、人の成長という、目には見えにくいものを信じ、そのために何年もの時間を費やしている。

 

これは決して簡単なことではない。

 

一方で、教師という仕事には「伝えること」への喜びもある。

 

難しいことが理解できた瞬間の子どもの表情。

 

「先生、分かった!」

 

その一言に、大きなやりがいを感じる人も多い。

 

人は、自分が知っていることを教えるだけでは、本当の教師にはなれない。

 

相手が理解できるように考え、言葉を選び、相手の立場に立って説明する。

 

つまり教師とは、「知識」よりも「相手を理解する力」が求められる仕事なのである。

 

だから、人に興味がある人ほど教師に向いているのかもしれない。

 

また教師を目指す人には、「公平でありたい」という価値観を持つ人も多い。

 

クラスには勉強が得意な子もいれば苦手な子もいる。

 

活発な子もいれば、静かな子もいる。

 

家庭環境も性格も能力も、それぞれ違う。

 

教師は、その違いを認めながら、一人ひとりと向き合わなければならない。

 

これは簡単なようで非常に難しい。

 

人はどうしても、自分と似た人に親近感を抱きやすい。

 

しかし教師には、その感情を超えて全員を見る姿勢が求められる。

 

だから教師という仕事は、人間そのものを学び続ける仕事でもあるのである。

 

さらに教師は、自分自身も成長し続けなければならない。

 

時代が変われば教育も変わる。

 

子どもたちの価値観も変わる。

 

昔の常識が今では通用しないことも珍しくない。

 

つまり教師は、「教える人」であると同時に、「学び続ける人」でもある。

 

自分が成長を止めれば、生徒にも成長を伝えられない。

 

だから優れた教師ほど、「まだ自分も未完成である」と考えていることが多い。

 

もちろん現実は理想ばかりではない。

 

授業の準備、部活動、保護者対応、事務作業。

 

近年は働き方改革が進んでいるとはいえ、その責任の重さは今も大きい。

 

だから教師という仕事は、「楽だから選ぶ」という職業では決してない。

 

それでも教師を続ける人がいる。

 

それは、自分が教えた子どもたちが何年後かに社会へ羽ばたき、「先生のおかげでした」と言ってくれる瞬間があるからだろう。

 

教師の仕事は、自分の成果が自分ではなく、誰かの人生として残る仕事なのである。

 

そして、それこそが教師という生き方の最大の魅力なのかもしれない。

 

しかし、ここで忘れてはならないことがある。

 

親も、職場の先輩も、地域の人も、友人も、人は人生のさまざまな場面で誰かを育て、誰かに育てられている。

 

教師でなくても、人を励まし、人の可能性を信じ、人の成長を支えることはできる。

 

大切なのは職業ではなく、「人の可能性を信じられるか」という生き方なのだろう。

 

教師という道を選ぶ人には、その人なりの使命感がある。

 

そして教師を選ばない人にも、その人だけの使命がある。

 

人生にはさまざまな役割があり、それぞれが社会を支えている。

 

教師という生き方も、その中の一つ。

 

だからこそ、教師を目指す人生にも、別の道を歩む人生にも、同じだけの価値があるのである。

 

 

 

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