フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、独り言などをゆる~く書き綴る。
何の専門家でもない私が経済的自由を得て、人生のこと、世の中のこと、
幸せについてなど、一般庶民の目線で考える。
なぜバブルは崩壊したのか?― 金融引き締めと総量規制がもたらした転換点 ―
1980年代後半、日本は空前のバブル景気に沸いていた。
土地の価格は毎年のように上昇し、株価は史上最高値を更新し続けた。
銀行は積極的に融資を行い、人々は「土地は絶対に値下がりしない」「株は持っていれば必ず儲かる」と信じていた。
しかし、その熱狂は長くは続かなかった。
わずか数年後、日本経済は戦後最大級ともいえる長い不況へと突入する。
その引き金となったのが、「金融引き締め」と「総量規制」である。
行き過ぎたバブルへの危機感
バブル景気の最中、日本銀行や政府は景気の過熱を次第に危険視するようになった。
土地価格は実体経済とかけ離れて上昇し、企業も個人も借金をして不動産や株式を購入するようになっていた。
このまま放置すれば、さらに投機が加速し、日本経済そのものが不安定になるという懸念が強まっていったのである。
そこで日本銀行は、景気を冷やす政策へと舵を切ることになる。
金融引き締めとは何か
金融引き締めとは、お金を借りにくくして、世の中に出回る資金を減らす政策である。
その代表的な手段が政策金利の引き上げだ。
日本銀行は1989年から1990年にかけて、短期間で何度も利上げを実施した。
金利が上昇すると、銀行からお金を借りるコストが高くなる。
これまで簡単に借金できていた企業や個人は、新たな投資を控えるようになった。
不動産会社も開発資金を調達しにくくなり、株式投資のための資金も減少していった。
つまり、お金の流れそのものを止めることで、バブルを冷まそうとしたのである。
追い打ちをかけた「総量規制」
しかし、本当の決定打となったのは1990年に導入された「総量規制」である。
総量規制とは、銀行による不動産向け融資を厳しく制限する行政指導である。
当時、多くの銀行は土地を担保に次々と融資を行っていた。
土地価格が上がれば担保価値も上がるため、さらに融資が増える。
その融資によってまた土地が買われ、価格がさらに上昇する。
まさに土地価格が土地価格を押し上げるという異常な循環が続いていたのである。
総量規制によって、この資金供給が一気に止められた。
すると、不動産を買いたくても銀行がお金を貸してくれない。
買い手が減れば土地価格は下落する。
土地価格が下がれば担保価値も下がり、銀行はさらに融資を控える。
こうして上昇していた歯車は、一転して下降へと向かい始めた。
バブルは一気に崩壊した
土地価格が下落すると、企業や個人は多額の借金だけが残ることになった。
さらに株価も急落する。
1989年末に約3万9千円だった日経平均株価は、その後急激に下落し、多くの投資家が巨額の損失を抱えた。
企業は設備投資を縮小し、銀行は不良債権を大量に抱える。
銀行自身も経営が苦しくなり、貸し渋りや貸しはがしが起こるようになった。
その結果、企業倒産や失業が増え、日本経済は「失われた30年」と呼ばれる長期低迷へと入っていくのである。
なぜ急激に崩壊したのか
後になって振り返ると、「バブルを抑えること」は必要だったという意見は多い。
しかし、問題はそのスピードだったとも言われている。
短期間での度重なる利上げに加え、総量規制によって不動産融資まで急停止させたため、市場は急ブレーキをかけられた。
車でも急ブレーキを踏めば乗っている人に大きな衝撃が伝わる。
経済も同じである。
過熱した市場を冷やす必要はあったが、その冷やし方が急激すぎたことで、日本経済全体が大きなダメージを受けたという見方も少なくない。
おわりに
バブル崩壊は、「景気が悪くなった」という単純な出来事ではない。
金融政策と行政指導という二つの政策が重なり、市場心理が一気に反転したことで起きた歴史的な転換点だったのである。
バブルの時代には、「土地は必ず値上がりする」という思い込みが社会全体を支配していた。
しかし、どんな資産も永遠に上がり続けることはない。
市場は期待だけで動くものではなく、資金の流れや政策によって大きく姿を変える。
バブル崩壊は、そのことを日本人に痛いほど教えた出来事だったのである。
※フリーマン柴賢二郎の著書をアマゾンで販売中です。

ドライブ・(ウィズ)・マイ・マザー | フリーマン柴賢二郎 | 小説・サブカルチャー | Kindleストア | Amazon

閉ざされた扉が開かれる時: 孤高の改革者が挑む魂を懸けた組織改革 反発と葛藤の末に掴む希望の光 | フリーマン柴賢二郎 | 小説・サブカルチャー | Kindleストア | Amazon
