フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、独り言などをゆる~く書き綴る。
何の専門家でもない私が経済的自由を得て、人生のこと、世の中のこと、
幸せについてなど、一般庶民の目線で考える。
人は、なぜ看護師を目指すのか。――「人を支えたい」という想いの、その先にあるもの
病院で最も長い時間、患者と向き合っているのは誰だろうか。
医師は診断し、治療方針を決める。薬剤師は薬を管理し、検査技師はデータを集める。それぞれが重要な役割を担っている。しかし、患者の日常に最も近い場所にいるのは、やはり看護師である。
それにもかかわらず、看護師という仕事は決して楽ではない。夜勤があり、体力も必要である。命に関わる責任も重く、精神的な負担も大きい。
それでもなお、多くの人が看護師を目指す。
そこには、どのような心理があるのだろうか。
もちろん、「家族が看護師だった」「安定した職業だから」といった理由もある。しかし、それだけでは説明できない何かがあるように思う。
看護師という仕事を選ぶ人には、「誰かを助けたい」という気持ちを持つ人が多い。
しかし、この「助けたい」という言葉は、意外と奥が深い。
人を助けたいという想いは、相手のためだけではなく、自分自身の人生とも深く結びついていることがある。
幼い頃に病気で入院し、不安な自分に優しく接してくれた看護師の姿が忘れられなかった人。
家族の介護を経験し、「支える人」の存在の大きさを知った人。
あるいは、自分自身が苦しかった時に誰かに救われ、「今度は自分が誰かを支えたい」と思うようになった人。
人は、自分が受け取った優しさを、別の誰かへつないでいこうとすることがある。
それは恩返しであり、人生の循環でもある。
また、看護師を目指す人には、「人の役に立っている」という実感を大切にする人も少なくない。
世の中には、成果が数字で表れる仕事もある。
売上や利益、契約件数などで評価される世界である。
しかし看護の世界では、そうした数字では測れない価値がある。
患者の不安そうな表情が少し和らいだこと。
「ありがとう」と一言伝えられたこと。
退院の日に笑顔が見られたこと。
そのような小さな変化の積み重ねが、自分の仕事の意味になっていく。
看護とは、人の命だけでなく、人の心にも寄り添う仕事なのである。
だからこそ、相手の気持ちを想像できる人ほど、この仕事に惹かれるのかもしれない。
一方で、興味深いのは、看護師は「主役」になる仕事ではないということである。
患者が回復することが主役であり、医療チーム全体が成果を出すことが目的である。
自分が目立つことではなく、誰かを支えることに喜びを感じられる人ほど、この仕事には向いている。
世の中には、前に立って人を導くことにやりがいを感じる人もいる。
一方で、後ろから支えることに充実感を覚える人もいる。
どちらが優れているわけではない。
ただ、人によって幸福を感じる場所が違うのである。
また、看護という仕事は、人間の「弱さ」と毎日のように向き合う仕事でもある。
病気になる人。
老いていく人。
命の終わりを迎える人。
人は誰でも、健康で元気な姿だけでは生きていけない。
だからこそ看護師は、人間の弱さを知り、その弱さを否定しない姿勢を自然と身につけていく。
「頑張れ」と励ますだけではない。
「頑張れない日があること」も理解している。
その共感力こそが、看護という仕事の本質なのかもしれない。
もちろん、現実は理想だけではない。
忙しさに追われ、時間に追われ、人手不足に悩み、心が折れそうになることもある。
どれほど人が好きでも、疲れ切ってしまえば優しくなれない日もあるだろう。
だからこそ、看護師には「人を支える力」だけではなく、「自分自身を支える力」も必要になる。
自分を犠牲にし続ければ、いつか心は空っぽになってしまう。
誰かを支える人ほど、自分自身も大切にすることを忘れてはいけないのである。
そして、このことは看護師だけに限らない。
家族を支える人も、職場で仲間を支える人も、友人の相談に乗る人も、皆どこかで「支える側」の人生を歩いている。
支えることは、特別な資格を持つ人だけのものではない。
人は誰でも、誰かの支えになっている。
看護師を目指す人は、そのことを仕事として選んだ人なのである。
だから、この道はとても尊い。
しかし同時に、看護師にならない人生にも、まったく同じだけの価値がある。
教師として人を育てる人もいる。
職人として社会を支える人もいる。
研究者として未来を切り開く人もいる。
家庭を守り、地域を支え、静かに誰かを励まして生きる人もいる。
人はそれぞれ、自分にしか果たせない役割を持っている。
看護師という道も、その一つ。
大切なのは、どんな職業に就くかではなく、自分は誰を、どのように支えながら生きたいのかという問いを持つことである。
その答えは、一人ひとり違っていていい。
そして、その違いこそが、人間という存在の豊かさなのである。
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