フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、独り言などをゆる~く書き綴る。
何の専門家でもない私が経済的自由を得て、人生のこと、世の中のこと、
幸せについてなど、一般庶民の目線で考える。
教育の力――基礎教育が国と未来をつくる
「教育を受けること」は、日本ではあまりにも当たり前である。
小学校へ行き、教科書を受け取り、先生から学ぶ。
それが当然のように思える。
しかし世界に目を向けると、その「当たり前」が決して当たり前ではない国が数多く存在する。
世界には、学校へ通いたくても通えない子どもたちがいる。
家庭の貧困、紛争、児童労働、学校そのものが存在しない地域など、その理由はさまざまである。
その結果、母国語であっても文章を読むことができず、自分の名前を書けず、簡単な足し算や引き算すらできないまま大人になる人も少なくない。
一方、日本では義務教育制度が整備され、多くの子どもが最低限の教育を受けることができる。
この違いは、単なる学力の差という話ではない。
人生そのものを左右する大きな違いなのである。
教育とは、知識を増やすだけではない。
文字が読めれば契約書を理解できる。
薬の説明書を読める。
災害時の避難情報を理解できる。
仕事のマニュアルを覚えられる。
銀行口座を作り、お金を管理することもできる。
計算ができれば買い物で損をしない。
給与が正しく支払われているか確認できる。
事業を始める際の収支計算も可能になる。
つまり、読み・書き・計算は、生きていくための「道具」なのである。
もしこの道具を持たなければ、生活のあらゆる場面で不利になってしまう。
騙される危険も高くなり、安定した仕事に就くことも難しくなる。
教育は人生の選択肢を増やすための土台なのである。
さらに基礎教育は、その人だけで終わらない。
教育を受けた親は、自分の子どもにも教育を受けさせようと考える傾向が強い。
健康や衛生についての知識も身につきやすく、病気の予防にも役立つ。
家庭全体の生活水準が少しずつ向上し、それが地域全体へ、そして国全体へと広がっていく。
逆に教育が十分でない国では、この好循環が生まれにくい。
十分な知識を得られないため、生産性が上がらず、収入も増えにくい。
貧困によって子どもが学校へ通えず、その子どももまた教育を受けられない。
この悪循環が何世代にもわたって続いてしまうのである。
だからこそ、多くの国や国際機関が最優先課題として基礎教育の普及に力を注いでいるわけだ。
ここで大切なのは、「教育=受験勉強」ではないということだ。
日本では教育というと、どうしても偏差値や受験、難関大学を思い浮かべがちである。
しかし世界的に見れば、まずは文字を読めること、自分の考えを書けること、計算ができること、この三つを身につけることこそが教育の第一歩なのである。
そして、幼い頃に身につけた学ぶ習慣は、一生の財産になる。
子どもの脳は柔軟で、知識を吸収する力が非常に高い。
この時期に読書の楽しさや考える習慣を身につけた子どもは、大人になっても自ら学び続ける力を持ちやすい。
反対に、この時期に十分な教育を受けられなければ、その後の人生で取り戻すことは決して簡単ではない。
だから教育は「未来への投資」と呼ばれるのである。
道路や橋を造ることも大切だが、人を育てることはそれ以上に国の未来を支える。
優れた技術者も、医師も、研究者も、企業家も、すべては基礎教育という土台の上に育っていく。
私たちは普段、その恩恵を意識することは少ない。
しかし、毎日新聞を読み、スマートフォンを使い、仕事をし、社会生活を送れること自体が、幼い頃に受けた基礎教育のおかげなのである。
教育とは、学歴を競うためのものではない。
人生を自分の力で切り開き、社会の中で自立して生きるための「生きる力」を育てるものである。
世界には、今この瞬間もその機会を求めている子どもたちがいる。
その現実を知るとき、日本で当たり前に受けられる教育が、いかに貴重な財産であるかを改めて実感するのである。
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