フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、独り言などをゆる~く書き綴る。
何の専門家でもない私が経済的自由を得て、人生のこと、世の中のこと、
幸せについてなど、一般庶民の目線で考える。
年金受給年齢問題━━「いつ死ぬか分からない」からこそ、年金は遅くもらうという考え方
年金は、何歳から受け取るのが正解なのだろうか。
これは、簡単には答えられない問題である。
人によって健康状態も違えば、寿命も違う。資産額も違うし、働ける年齢も違う。住宅ローンの有無、家族構成、生活費、将来の年金額など、考えるべき条件はいくらでもある。
したがって、「65歳から受け取るべきだ」「70歳まで繰り下げるべきだ」などと、一律に決められるものではない。
それでも私は、老齢年金について一つの考え方を持っている。
可能であるならば、できる限り受給を遅らせることには、大きな意味があるのではないか。
なぜなら、老齢年金は数ある収入の中でも、長生きしたときに生活を支えてくれる「終身の収入」という、極めて重要な性質を持っているからである。
もちろん、これには反論がある。
「いつ死ぬか分からないのだから、早くもらった方がいい」
「今まで保険料をたくさん払ってきたのだから、早く受け取るべきだ」
「繰下げて、受け取る前に死んだら、払った分が無駄になるではないか」
確かに、その考え方にも一理ある。
しかし、少し違う角度から考えてみたい。
いつ死ぬか分からないからこそ、死ぬその時まで安心して暮らせる状態を作っておく。
これも、一つの合理的な考え方ではないだろうか。
年金を早く受け取れば、早い時期から収入を得られる。その一方で、長生きしたときにもらえる年金額は少なくなる。
逆に、繰下げれば、受け取り始めるまでの期間は自分の資産や労働収入などで生活しなければならない。しかし、その代わりに、長生きしたときの毎年の年金収入を厚くすることができる。
ここで重要なのは、「何歳まで生きるか」を当てることではない。
何歳まで生きても、生活が破綻しないように準備することである。
70歳で亡くなるかもしれない。
80歳かもしれない。
90歳かもしれない。
100歳まで生きるかもしれない。
未来は誰にも分からない。
だからこそ、「自分は○歳まで生きる」と決め打ちするのではなく、長生きした場合にも耐えられる資金計画を考えておく必要がある。
たとえば、65歳から毎月十分な年金を受け取れる人と、70歳、75歳まで働いて資産を取り崩しながら生活し、その後に大きな年金収入を得る人では、人生後半の安心感が違ってくる可能性がある。
もちろん、そこには資産をどれだけ持っているのかという問題がある。
十分な資産がない状態で無理に受給を繰り下げれば、生活そのものが苦しくなる。
だから「年金は遅らせれば遅らせるほどいい」という単純な話ではない。
繰下げを可能にするための準備が必要なのである。
働けるうちは働く。
支出をコントロールする。
少しずつ資産を作る。
投資について学ぶ。
自分が将来いくら年金を受け取れるのか確認する。
そして、自分が何歳まで働けそうなのか、健康寿命はどのくらいになりそうなのかを考える。
つまり、年金の受給開始年齢を考えることは、実は50代や60代になってから突然考える問題ではない。
もっと若い頃から考えておくべき問題なのである。
「年金をもらう前に死んだら損ではないか」という考え方も分かる。
しかし、人生を「受け取った年金の総額」だけで評価してよいのだろうか。
仮に年金を一円も受け取ることなく人生を終えたとしても、その人がそれまで十分な資産を築き、働き、生活に困ることなく、最後まで安心して暮らせたのであれば、それを単純に「損だった」と言えるだろうか。
逆に、早くから年金を受け取ったものの、長生きするにつれて資産が減り、80代、90代になって「この先のお金が心配だ」と不安を抱えることになったらどうだろう。
人生の後半では、若い頃とは違って「これから働いて取り返す」ということが難しくなる。
だからこそ、長生きしたときに強い仕組みを持っておくことには価値がある。
老齢年金を「今まで払ったお金を回収するもの」と考えるのではなく、「何歳まで生きても安心して生活を支えるための終身収入」と考えてみる。
そうすれば、「できる限り長く働き、少しでも多く資産を作り、なるべく受給開始を遅らせる」という戦略にも、別の意味が見えてくる。
もちろん、これは一つの考え方にすぎない。
早く受け取った方が安心できる人もいる。
健康上の理由から繰下げが難しい人もいる。
資産状況によっては、早期受給が合理的な場合もある。
大切なのは、他人の正解を自分の正解にしないことである。
自分の健康寿命。
自分の年金額。
自分の資産。
自分の生活費。
自分が何歳まで働けるのか。
それらを一つひとつ確認し、自分自身の人生について計画を立てることである。
「いつ死ぬか分からない」のは、確かにその通りである。
しかし、それは「だから早くもらおう」という結論を意味するものではない。
いつ死ぬか分からないからこそ、何歳になってもお金の不安なく暮らせる準備をしておく。
そして、もし受給前に人生を終えたとしても、その日まで経済的な不安に追われず、しっかりと人生を楽しむことができたのであれば、それもまた一つの人生の完成形なのではないだろうか。
年金は、単なる「得か損か」の計算ではない。
それは、人生の最後まで安心して暮らすための設計の一部である。
だからこそ、受給年齢を決めること以上に大切なのは、できるだけ早い段階から、自分の人生の後半を見通しておくことなのだ。
自分の大切な人生なのだから。
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