なぜ私は、30年以上「からあげ大魔王」を大切にしてきたのか。

フリーマン柴賢二郎の流儀

~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~

世の中に起きている不思議なことや、独り言などをゆる~く書き綴る。

何の専門家でもない私が経済的自由を得て、人生のこと、世の中のこと、

幸せについてなど、一般庶民の目線で考える。

 

なぜ私は、30年以上「からあげ大魔王」を大切にしてきたのか。

 

「からあげ大魔王」という名前を、私は30年以上大切にしてきた。

 

こう書くと、何か特別な物語があるように聞こえるかもしれない。

 

しかし、その始まりは驚くほど単純である。

 

私がまだ23歳、社会人2年目だった頃のことである。

 

当時の会社の後輩が、私がいつも唐揚げを好んで食べていることに気づき、「唐揚げが大好きな人」という意味合いから、私に「からあげ大魔王」という名前を付けた。

それが始まりである。

 

何かを目指して付けた名前でもない。

 

商売をしようと思ったわけでもない。

 

将来、ホームページを作ろうなどと考えていたわけでもない。

 

ましてや、30年以上も残るとは、当時の私は夢にも思っていなかった。

 

ただ、その名前が面白かった。

 

そして、なぜか自分の中に残った。

 

普通なら、こういうものは時間とともに消えていく。

 

若い頃につけられたあだ名。

 

友人同士で使っていた冗談。

 

その時代だけで通用した言葉。

 

人生には、そういうものが無数にある。

 

しかし、その多くは年月とともに忘れられていく。

 

環境が変われば使われなくなる。

 

仕事が変われば関係がなくなる。

 

人間関係が変われば、いつの間にか記憶の奥へ消えていく。

 

ところが、「からあげ大魔王」は消えなかった。

 

30年以上という時間の中で、私は仕事も変わり、生活も変わり、考え方も変わった。

 

社会も大きく変化した。

スマートフォンが登場し、インターネットが普及し、SNSが生まれ、今ではAIまで当たり前のように使われる時代になった。

 

世の中は、次から次へと新しいものを生み出している。

 

古いものは捨てられ、新しいものに置き換えられていく。

 

それは社会の自然な流れなのだろう。

 

しかし、人間の頭の中まで、同じように新しいものへ更新され続けるわけではない。

 

何十年経っても、なぜか残っているものがある。

 

私は「からあげ大魔王」を通じて、そのことに気づいた。

 

考えてみれば、この名前には何の実用性もない。

 

お金を生むわけでもない。

 

社会的な評価が上がるわけでもない。

 

履歴書に書けるわけでもない。

 

誰かに褒められるためのものでもない。

 

世間一般の価値基準から見れば、「そんなものを30年以上も大切にして何になるのか」と言われても不思議ではない。

 

それでも、私は捨てなかった。

 

ここには、人間にとっての「価値」というものの面白さがある。

 

人間は、必ずしも役に立つものだけを大切にして生きているわけではない。

 

むしろ、役に立たないからこそ大切にできるものもある。

 

利益にならないし効率も悪い。

 

他人から見ればくだらない。

 

それでも、自分にとっては大切である。

 

そういうものが、人生には確かに存在する。

 

そして、その価値は他人には決められない。

 

「そんなものは捨てて、新しいものを持ったほうがいい」と言われても、本人が残したいと思うのであれば、それでいい。

 

なぜなら、それは単なる「名前」ではないからである。

 

そこには23歳だった自分がいる。

 

社会人になったばかりの自分がいる。

 

唐揚げを嬉しそうに食べていた自分がいる。

 

そして、その自分を見て面白がり、名前を付けてくれた後輩との時間もある。

 

30年以上という時間は、その名前に少しずつ記憶を積み重ねてきた。

 

だから今の私にとって「からあげ大魔王」は、単なるキャラクター名ではない。

 

人生の中で、長い時間をかけて自然に育ってしまった、自分だけの世界なのである。

 

だから私は、それを無理に「意味のあるもの」にしようとは思わない。

 

大きな目的を持たせる必要もないし、商売にしなければならないわけでもない。

 

誰かに理解してもらう必要もない。

 

ただ、「30年以上、自分の頭の中に残っていた」。

 

それだけで十分な理由になる。

 

世の中は、これからも新しいものを生み続けるだろう。

 

古いものは忘れられ、新しい価値観が次々と登場する。

 

しかし、その流れの中で、自分の中にずっと残っているものまで捨てる必要はない。

 

むしろ、そういうものこそ、大切にしたほうがいいのかもしれない。

 

「くだらない」と思われるものの中に、自分だけの人生の記憶が詰まっていることがあるからである。

 

23歳のときに、後輩から何気なく付けられた「からあげ大魔王」。

 

それから30年以上。

 

まさか、こんなに長く付き合うことになるとは思わなかった。

 

人生とは、案外そういうものなのかもしれない。

 

何気なく始まったものが、いつの間にか人生の一部になっている。

 

そして今、私は思う。

 

30年以上残ったのなら、もう少しくらい、この「くだらない世界」を大切にしてもいいではないか。

 

それが、私にとっての「からあげ大魔王」なのである。

 

 

 

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