フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、独り言などをゆる~く書き綴る。
何の専門家でもない私が経済的自由を得て、人生のこと、世の中のこと、
幸せについてなど、一般庶民の目線で考える。
人は、なぜ農家になるのか
人は、なぜ農家になるのだろうか。
「農業が好きだから」という答えは、もちろんある。しかし、それだけではない。農家という道を選ぶ人の心の中には、会社員とは違う働き方を求める気持ちや、自分の判断で人生を動かしたいという思い、自然や土地とのつながりを大切にしたいという価値観が存在する。
農林水産省が紹介する調査では、新規就農者の就農理由として「自ら采配を振れる」が53%、「農業が好き」が42%、「時間が自由」が37%、「農業はやり方次第で儲かる」が36%などとなっている。つまり、農家になる理由は「自然が好き」という一つのイメージだけでは説明できないのである。
その中でも興味深いのが、「自ら采配を振れる」という価値観である。
会社員であれば、基本的には組織の中で働く。上司がいて、規則があり、会社の方針がある。自分の考えを持っていたとしても、それをすべて仕事に反映できるとは限らない。
一方、農家は経営者でもある。
何を作るのか。どのように作るのか。どれだけ投資するのか。誰に売るのか。失敗したときにどう立て直すのか。
もちろん、現実には市場価格や天候、政策、地域社会など、自分では決められないことも多い。それでも最後の判断を自分自身が引き受けるという感覚は強い。
そこに魅力を感じる人がいる。
「人から指示されるより、自分で考えて決めたい」
そういう人にとって、農業は単なる仕事ではなく、生き方そのものになり得るのである。
また、農業には「待つ」という時間がある。
種をまいたからといって、明日収穫できるわけではない。手を掛け、天候を見守り、成長を待つ。そして最後は自然の力に委ねる。
現代社会では、努力すればすぐ結果が出ることが好まれる。しかし農業は、そうはいかない。
だからこそ、農業を選ぶ人の中には、「自分の力だけではどうにもならないもの」を受け入れる感覚を持っている人もいるのではないだろうか。
人間が自然を完全に支配することはできない。
晴れてほしい日に雨が降り、雨が欲しいときに晴れることもある。台風が来れば、それまで積み重ねてきた努力が一瞬で失われることもある。
それでも、翌年また種をまく。
この繰り返しには、人生そのものに似たところがある。
すべてを自分の思いどおりにできなくても、自分にできることをする。そして、結果を受け入れ、また次の季節に向かう。
そこに農業という生き方の深さがあるのかもしれない。
そしてもう一つ、農家を選ぶ人が求めているものとして、「土地とのつながり」がある。
会社では、仕事をする場所と自分の人生が切り離されていることも多い。しかし農家の場合、働く場所がそのまま生活の場所であり人生とも密着している。
自分が耕した土地から作物が生まれ、それを誰かが食べる。
その循環が目に見える。
自分の仕事が、誰かの食卓につながっている。
これは、現代の仕事では意外と感じにくい感覚である。
しかし、だからといって「農家こそ人間らしい生き方だ」と決めつけなくてもいい。
ここが大切なところである。
農業を選んだ人が自由を感じる一方で、会社員として働くことで安心や仲間とのつながりを得る人もいる。
農業で自分の判断を大切にする人がいる一方で、組織の中で大きな仕事を成し遂げることに喜びを感じる人もいる。
自然の中で働くことを幸せだと思う人もいれば、都会の便利さやデジタルな仕事に魅力を感じる人もいる。
どちらが正しいという話ではない。
結局、人間は「自分にとって何が大切なのか」によって、人生の道を選べばいいのである。
農家になるということは、単に農作物を作る仕事を選ぶことではない。
「自分で決めたい」
「土地とつながっていたい」
「自然の中で生きたい」
「家族と過ごす時間を大切にしたい」
「自分の仕事が誰かの生活につながっていることを感じたい」
そうした価値観のどれか、あるいはいくつかを、自分の人生の中心に置くという選択でもある。
だからこそ、農家という道を考えるとき、私たちは「農業は大変そうだ」「収入が安定しない」といった外側からの評価だけで判断する必要はない。
同時に、「自然の中で自由に働けて素晴らしい」と美化する必要もない。
大切なのは、その生き方が自分に合っているかどうかである。
農林水産省の資料でも、新規就農の際には農地や資金、技術の確保などが大きな課題として挙げられている。理想だけでは続かない世界であることも、また現実なのである。
ここで、あなたに一つ問いかけてみたい。
もし生活のために働く必要がなかったとしたら、自分はどんな場所で、誰と、何をして一日を過ごしたいだろうか。
人から指示されず、自分で一日の予定を決めたいだろうか。
それとも、決められた時間に職場へ行き、仲間と一緒に一つの目標へ向かうほうが心地よいだろうか。
自然の変化を感じながら生きたいだろうか。
それとも、本やコンピューター、人との会話の中で知的な刺激を受けながら生きたいだろうか。
人が選ぶ職業は、その人が「何をしたいか」だけでなく、「どう生きたいか」を映している。
農家になる人は、農業という仕事を通して、自分なりの人生をつくろうとしているのかもしれない。
しかし、農家にならない人生にも、同じように価値がある。
人生の価値は、どんな職業に就いたかだけで決まるものではない。
畑を耕す人生もあれば、会社で働く人生もある。研究する人生もあれば、家庭を守る人生もある。誰かのために働く人生もあれば、一人静かに自分の世界を深める人生もある。
重要なのは、「他人にとって価値がある人生」ではなく、「自分自身が納得できる人生」を選べるかどうかである。
農家になる人を見て、「自分も自然の中で生きてみたい」と思う人がいるかもしれない。
反対に、「自分には都会で働くほうが合っている」と気づく人もいるだろう。
どちらも正解である。
人は、それぞれ違うものを求めて生きている。
だからこそ、人の選んだ道を眺めることは、その人を理解するだけではなく、自分は何を求めて生きているのかを知ることにもつながるのである。
農家になる人生も、一つの人生である。
そして、農家にならない人生もまた、一つのかけがえのない人生なのである。
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