フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、独り言などをゆる~く書き綴る。
何の専門家でもない私が経済的自由を得て、人生のこと、世の中のこと、
幸せについてなど、一般庶民の目線で考える。
人は、なぜ音楽家になるのか。
人は、なぜ音楽家になるのだろうか。
「音楽が好きだから」という答えは、もちろん間違いではない。しかし、それだけでは説明できないものがある。
音楽を聴くことが好きな人は、世の中に数え切れないほどいる。その中で、自ら演奏し、歌い、作曲し、音楽を生涯の道として選ぶ人がいる。
そこには、いったいどのような心の動きがあるのだろう。
音楽家を目指す人の中には、幼い頃から楽器に触れていた人もいるだろう。家族の影響を受けた人もいれば、ある一曲との出会いによって人生が変わった人もいる。
しかし、きっかけはさまざまであっても、その奥には共通するものがあるのかもしれない。
それは、「自分の中にある何かを、音にして外の世界へ出したい」という欲求である。
人間には、言葉だけでは表現できない感情がある。
嬉しい、悲しい、寂しい、愛しい、怒っている――。
言葉にしてしまえば簡単な一言になる感情も、音楽にすると、その何倍もの複雑さを持つことがある。
だからこそ、言葉では伝えられないものを音楽によって表現しようとする人がいる。
「自分の気持ちを分かってほしい」と考える人もいるだろう。
しかし、それとは少し違って、「分かってもらわなくてもいい。ただ、自分の中にあるものを形にしたい」と考える人もいる。
ここには、音楽家という道の面白さがある。
音楽は、自分のために奏でることもできるし、誰かに届けることもできるからである。
そして、もう一つ大きな動機がある。
「誰かの心を動かしたい」という願いである。
自分が感動した曲を聴いて、「この感動を誰かにも届けたい」と思う。
自分の演奏を聴いた人が、少し元気になったり、昔の記憶を思い出したり、涙を流したりする。
そこに、自分の存在が誰かの心に触れたという実感が生まれる。
人間は、自分が他者に何かを与えられる存在でありたいと思うことがある。
それは必ずしも、お金や物を与えることではない。
勇気を与える。
慰めを与える。
感動を与える。
忘れていた感情を思い出させる。
音楽家という生き方には、そうした「目に見えないものを人に渡す」という喜びがあるのかもしれない。
一方で、音楽家になることを「自己表現」という一面だけで捉えるのも十分ではない。
音楽の世界には、極めて厳しい鍛錬がある。
何度も同じ練習を繰り返し、自分の未熟さと向き合い、昨日できなかったことを今日できるようにする。
それは、ときに華やかな舞台とは正反対の、孤独な時間である。
それでも続ける人がいる。
なぜだろう。
もしかすると、その人にとって音楽は「仕事」というより、「生きることそのもの」に近いからではないだろうか。
音楽をしているときだけ、自分が自分でいられる。
音楽をしていない時間より、音楽と向き合っている時間のほうが、自分の人生を生きていると感じる。
そういう人にとっては、成功するかどうかだけでは、この道を選ぶ理由を説明できない。
「好きだから続ける」という言葉の奥には、「これをしなければ、自分ではなくなってしまう」というほど深い感覚があるのかもしれない。
しかし、すべての音楽家が同じ価値観を持っているわけではない。
有名になりたい人もいる。
多くの人に聴いてほしい人もいる。
自分の作品を後世に残したい人もいる。
生活のために音楽をする人もいる。
ただ純粋に音楽そのものを追究したい人もいる。
どれが正しいということではない。
人が人生に求めるものは、それぞれ違うからである。
そして、ここで一度、自分自身に問いかけてみてもいい。
「自分なら、何を表現したいだろうか」
音楽家でなくても、この問いは誰にでも関係している。
文章を書く人は文章で表現する。
絵を描く人は絵で表現する。
料理をする人は料理で表現する。
誰かを育てる人は、その生き方そのもので何かを伝える。
人間は、それぞれの方法で、自分の内側にあるものを世界へ返しているのかもしれない。
そう考えると、音楽家という道は、単に音楽を仕事にすることではない。
自分の中にあるものを見つめ、それを音に変え、誰かと分かち合いながら生きていく、一つの人生の選択なのである。
しかし、だからといって、音楽家になる人生のほうが、ならない人生より価値があるということではない。
音楽を職業にしなくても、音楽を愛する人生はある。
休日に好きな曲を聴く人もいる。
趣味で楽器を弾く人もいる。
家族と一緒に歌う人もいる。
あるいは、音楽とはまったく別の道を選び、その道の中で自分にしかできない何かを見つける人もいる。
人生の価値は、どの職業を選んだかだけでは決まらない。
大切なのは、自分が何を大切にし、何に心を動かされ、どのような時間を生きたいと思ったのかである。
音楽家になる人には、その人だけの理由がある。
そして、音楽家にならない人にも、その人だけの理由がある。
もしかすると、人間にとって本当に大切なのは、何者になるかではない。
自分の心が何に響くのかを知り、その響きを大切にしながら、自分だけの人生を生きていくことなのかもしれない。
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