物価が安い国と、物価が高い国――本当に住みやすいのはどちらなのか

フリーマン柴賢二郎の流儀

~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~

世の中に起きている不思議なことや、独り言などをゆる~く書き綴る。

何の専門家でもない私が経済的自由を得て、人生のこと、世の中のこと、

幸せについてなど、一般庶民の目線で考える。

 

物価が安い国と、物価が高い国――本当に住みやすいのはどちらなのか

 

海外の国を調べていると、「物価が安い国」という言葉をよく目にする。

 

食事が安い。家賃が安い。交通費も安い。日本円に換算すると、驚くほど少ないお金で暮らせる。

 

しかし、そこで一つ考えなければならないことがある。

 

物価が安い国は、本当に暮らしやすい国なのだろうか。

 

なぜなら、物価が安い国では、同時に賃金も安いことが多いからである。

 

逆に、スイスや北欧諸国などのように、物価が非常に高い国もある。しかし、その分だけ賃金も高い。

 

では、「物価が安くて賃金も安い国」と、「物価が高くて賃金も高い国」。住むなら、いったいどちらが幸せなのだろうか。

 

物価が安く、賃金も安い国

 

このタイプの国の最大の魅力は、生活費を抑えやすいことである。

 

外食、交通、住居、各種サービスなどが安ければ、生活そのものに多くのお金を必要としない。

 

特に、海外から収入を得ている人や、年金など一定の所得を海外で使う人にとっては、大きなメリットになる。

 

また、生活にそれほどお金をかけなくても楽しめる環境は、精神的な面でも魅力がある。

 

高級なレストランに行かなくても、近所の店で食事を楽しめる。大きな家や高級車を持たなくても、それほど不便を感じない。

 

つまり、「たくさん持たなければ幸せになれない」という価値観から距離を置きやすいのである。

 

一方で、その国で働く人にとっては事情が違う。

 

物価が安くても、給料がさらに安ければ、生活は決して楽ではない。

 

安い住宅があっても、それを買えるだけの所得がなければ意味がない。医療や教育、老後など、まとまったお金が必要になる場面では、所得の低さが大きな弱点になる。

 

そして精神的にも、低所得は将来への不安につながりやすい。

 

「今は暮らせる。でも病気になったらどうしよう」「子どもの教育費はどうしよう」「老後は大丈夫だろうか」。

 

こうした不安があれば、物価の安さだけでは心の豊かさを得ることは難しい。

 

物価が高く、賃金も高い国

 

こちらは一見すると正反対である。

 

食事も高い。住宅も高い。サービスも高い。

 

旅行者として訪れれば、「こんなに高いのか」と驚くこともある。

 

しかし、そこで働く人の賃金も高ければ、話は変わってくる。

 

重要なのは、外国人が日本円に換算した価格ではなく、その国で働く人が、自分の給料でどれだけの生活を維持できるかだからである。

 

賃金が高ければ、住宅費や食費が高くても、それを吸収できる可能性がある。

 

さらに、高い所得は人生の選択肢を増やす。

 

教育を受ける。旅行をする。趣味を楽しむ。資産を形成する。老後に備える。

 

「やりたいけれど、お金がないから諦める」という場面が少なくなる。

 

これは物質的な豊かさだけではなく、精神的な自由にもつながる。

 

しかし、ここにも弱点がある。

 

所得が高くなると、それに合わせて生活水準も上がりやすい。

 

周囲が大きな家に住み、高級な車に乗り、頻繁に海外旅行をしていれば、自分もそれを求めたくなる。

 

すると、収入が増えても支出も増えていく。

 

「これだけ稼いでいるのだから、これくらいの生活をしなければならない」という無言の圧力まで生まれる。

 

その結果、物質的には豊かなのに、精神的には余裕がないということも起こり得る。

 

住みやすさは「物価」だけでは決まらない

 

では、住みやすさという観点ではどうだろうか。

 

ここでも単純な比較はできない。

 

物価が安い国には、ゆったりした生活、人との距離の近さ、自然や地域社会とのつながりなど、数字では測れない魅力がある場合がある。

 

一方、物価と賃金がともに高い国では、医療、教育、交通、治安、公共サービスなどが充実している場合があり、「お金はかかるが、その分だけ便利で安心」という生活を送れることもある。

 

つまり、住みやすさとは、

 

「いくらで生活できるか」だけではなく、「そのお金でどのような生活ができるか」

 

なのである。

 

精神的な豊かさでは、さらに複雑になる

 

ここが、この問題の最も面白いところである。

 

物価が安い国では、「お金をそれほど使わなくても楽しめる」という幸福がある。

 

物価が高く賃金も高い国では、「お金があるから選択肢が多い」という幸福がある。

 

前者は少ないもので満足する幸福であり、後者は多くの選択肢を持てる幸福とも言える。

 

どちらが優れているのだろうか。

 

おそらく、答えは出ない。

 

たくさんの選択肢を持ちたい人にとっては、高所得の国のほうが魅力的かもしれない。

 

反対に、自然の中でゆっくり暮らしたい人、人間関係を大切にしたい人、物をそれほど必要としない人にとっては、物価の安い国のほうが心地よいかもしれない。

 

さらに、同じ国の中でも、人によって感じ方はまったく違う。

 

若くて仕事をしたい人と、老後を穏やかに過ごしたい人では、求める環境が違う。

 

都会が好きな人と、静かな田舎が好きな人でも違う。

 

高収入を目指したい人と、「そこそこ働いて自由な時間を持ちたい」という人でも違う。

 

本当の豊かさとは何か

 

結局、「物価が安い国」と「物価が高い国」のどちらが優れているのかという問いには、明確な答えはない。

 

物質的な豊かさだけを見るなら、賃金と物価のバランスが重要である。

 

しかし、人間が求める豊かさは、それだけではない。

 

安心して暮らせること。

 

自由な時間があること。

 

家族や友人と過ごせること。

 

将来に不安がないこと。

 

自分らしい生き方を選べること。

 

そして、「これで十分だ」と思えること。

 

そう考えると、豊かさとは国の物価水準だけで決まるものではない。

 

高い給料を得て、多くのものを買えることが幸せな人もいる。

 

それほど多くのお金を必要とせず、静かに暮らすことが幸せな人もいる。

 

だからこそ、海外移住や外国の暮らしを考えるとき、「物価が安いから住みやすい」「賃金が高いから豊かだ」と単純に判断するのは危険である。

 

自分は、何を得たいのか。何を必要とし、何を必要としないのか。

 

そこを考えたとき、初めて自分にとって住みやすい国が見えてくる。

 

国の豊かさを比較しているようで、実は最後に問われているのは、「自分にとって、豊かな人生とは何なのか」なのかもしれない。

 

物価が安い国にも、高い国にも、それぞれの幸せがある。

 

そして結局のところ、どちらを選ぶかは、その人が人生で何を大切にするか――その価値観によって決まるのである。

 

 

 

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