フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、独り言などをゆる~く書き綴る。
何の専門家でもない私が経済的自由を得て、人生のこと、世の中のこと、
幸せについてなど、一般庶民の目線で考える。
人は、なぜ発明家を目指すのか。
人は、なぜ発明家を目指すのか。まだ存在しないものを生み出したいという欲求の奥には、好奇心、問題解決への執念、自由への憧れ、そして自分の存在を未来に残したいという思いがある。その心理と価値観を考察する。
世の中にまだ存在していないものを、自分の手で生み出してみたい。
そんな思いを抱く人がいる。
「こんなものがあったら便利なのに」「なぜ、これはもっと簡単にならないのだろう」「誰も作っていないのなら、自分で作ってみよう」。
発明家を目指す人の出発点は、案外こうした素朴な疑問なのかもしれない。
発明家というと、特別な才能を持ち、誰も思いつかない画期的なものを次々と生み出す人を想像しがちである。しかし、その根底にあるものは、必ずしも「人より優れたい」という気持ちだけではない。
むしろ、「なぜ?」という問いを放っておけない性格があるのではないだろうか。
多くの人が「そういうものだから」と受け入れるところで、発明家を目指す人は立ち止まる。
なぜ、この形なのか。
なぜ、もっと便利にならないのか。
なぜ、この問題は昔から解決されていないのか。
そして、その疑問が頭から離れなくなる。
そこには、強い好奇心がある。
「ないもの」を見る人
発明家の面白さは、現在存在しているものを見るだけではなく、「まだ存在していないもの」を想像するところにある。
普通なら、目の前にある不便を「仕方がない」と受け入れる。しかし発明家は、その不便の中に可能性を見る。
これは単なる器用さではない。
「今はこうなっている。でも、本当は別の形もあるのではないか」
という発想である。
つまり発明とは、物を作ることだけではなく、現実を疑うことなのかもしれない。
当たり前を当たり前のまま受け取らず、「もっと違う世界があるのではないか」と考える。
その意味では、発明家を目指す人の人生観には、「現状は完成形ではない」という感覚があるのではないだろうか。
失敗しても続けられる理由
しかし、発明には失敗がつきものである。
考えた通りに動かない。
何度作っても壊れる。
周囲から「そんなものを作って何になる」と言われることもある。
それでも続けられるのは、成功そのものよりも、「試してみたい」という気持ちが強いからかもしれない。
もちろん、成功したいという思いもあるだろう。
社会に認められたい。
お金を得たい。
有名になりたい。
自分の名前を残したい。
そうした欲求も、人間として決して否定されるものではない。
だが、それだけでは長い失敗に耐え続けることは難しい。
「知りたい」「試したい」「形にしたい」という内側から湧いてくる欲求があるからこそ、失敗しても再び手を動かせるのである。
自由を求めている人
発明家を目指す人の中には、「自分の考えを自分の方法で形にしたい」という自由への欲求を持つ人もいるだろう。
組織のルールに従って与えられた仕事をするより、自分で問題を見つけ、自分で考え、自分で答えを出したい。
そこには「自分の人生を自分で設計したい」という価値観がある。
ただし、これもすべての発明家に当てはまるわけではない。
誰かの課題を解決することに喜びを感じる人もいれば、社会を変えることを目指す人もいる。
自分の好奇心を満たすためだけに研究する人もいる。
人間の動機は、一つではないのである。
発明したいのは「物」ではなく「可能性」なのかもしれない
考えてみれば、発明家が本当に作りたいものは、物そのものではないのかもしれない。
新しい道具を作ることで、人々の生活が変わる。
新しい技術を作ることで、今までできなかったことができるようになる。
つまり、その先にある「可能性」を生み出したいのである。
「今までできなかったことが、できるようになる」
この瞬間に、人は大きな喜びを感じる。
だから発明家を目指すということは、「新しいものを作りたい」というより、「世界にはまだ別の可能性があることを証明したい」という生き方なのかもしれない。
もちろん、誰もがそのような生き方を望む必要はない。
世の中には、新しいものを生み出す人がいる一方で、すでにあるものを大切に守り、丁寧に使い続ける人もいる。
変化を起こすことに喜びを感じる人もいれば、変わらない日常の中に幸せを見つける人もいる。
どちらが優れているわけでもない。
大切なのは、「自分は何を生み出したいのか」だけではなく、「自分は何を大切にして生きたいのか」を知ることなのだろう。
あなたは、まだ存在しないものを作ってみたい人だろうか。
それとも、すでにあるものを磨き、守り、誰かに受け渡していきたい人だろうか。
あるいは、そもそも「何かを成し遂げること」より、穏やかな日々を味わうことに価値を感じるだろうか。
発明家を目指す人生には、発明家にしか見えない景色がある。
しかし、発明家にならない人生にも、その人にしか見えない景色がある。
新しいものを生み出す人生も、今あるものを大切にする人生も、静かに自分の人生を生きる人生も、その価値に優劣はない。
結局のところ、人が選ぶべき道とは、「世の中から見てすごい道」ではなく、自分自身が何を大切にして生きたいのかを知ったうえで選んだ道なのかもしれない。
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