フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、独り言などをゆる~く書き綴る。
何の専門家でもない私が経済的自由を得て、人生のこと、世の中のこと、
幸せについてなど、一般庶民の目線で考える。
フランスで「死を選ぶ権利」が採択された。あなたなら、どう考えるだろうか。
「人は、自ら死を選ぶ権利を持つべきなのか。」
長い間、多くの国で議論され続けてきたこの問いに、フランスが一つの答えを示した。
フランス議会は、厳しい条件のもとで、終末期にある患者が自らの意思で人生を終えることを認める法案を採択したのである。
もちろん誰でもが認められるわけではない。回復の見込みがなく、耐え難い苦痛を抱え、本人が十分な判断能力を持ち、自らの意思で望んだ場合に限られるなど、多くの条件が設けられている。
それでも、この決断は世界中に大きな衝撃を与えた。
なぜなら、この問題には「正解」が存在しないからである。
命は何よりも尊い。
これは誰もが認める価値観である。
だからこそ医療は、一人でも多くの命を救うために発展してきた。医師も看護師も、患者を生かすために全力を尽くしている。
しかし一方で、現代医療は「生きること」を可能にする一方、「苦しみながら生き続けること」も可能にしてしまった。
治る見込みがなく、激しい痛みや苦しみが続く。
本人はもう十分だと思っている。
それでも法律は、生き続けることを求める。
この現実に、多くの人が葛藤してきたのである。
もちろん反対意見も非常に重い。
「命を終わらせることを社会が認めてよいのか。」
「本人が望んでいるように見えても、家族への負担や社会への遠慮から死を選んでしまう人が現れないか。」
「一度認めれば、その条件は少しずつ広がってしまうのではないか。」
こうした懸念には十分耳を傾けなければならない。
命を守ることは、文明社会の最も重要な土台だからである。
一方で賛成する人々は、こう考える。
「最後まで生き方を選ぶ自由があるなら、最後の終わり方にも本人の意思が尊重されるべきではないか。」
人生は誰かのものではない。
国家のものでも、医療のものでも、家族のものでもない。
本人自身の人生なのである。
だからこそ、最期の選択も本人に委ねるべきだという考え方である。
どちらの意見にも、人を思う優しさがある。
命を守りたいという優しさ。
苦しみから解放してあげたいという優しさ。
どちらも決して間違いとは言い切れない。
だからこの問題は、法律だけでは答えが出ないのである。
私たちは普段、「生きること」については考える。
夢、仕事、家族、健康、お金。
しかし、「どう生き終えるか」を考える機会はほとんどない。
だからこそ、このニュースは決して遠い国の出来事ではない。
高齢化が進む日本でも、医療技術はさらに進歩していくだろう。
そのとき私たちは、「命をどこまで延ばすか」だけではなく、「尊厳をどう守るか」という問いにも向き合わなければならなくなる。
重要なのは、賛成か反対かを急いで決めることではない。
こうした難しい問題について、自分自身の価値観を持つことである。
命とは何か。
自由とは何か。
尊厳とは何か。
そして、人間らしく生きるとはどういうことなのか。
フランスは、一つの答えを法律という形で示した。
しかし、その答えが世界共通の正解になるわけではない。
国が違えば文化も宗教も歴史も異なる。
だからこそ、この問題には多様な答えがあってよいのだと思う。
大切なのは、他人の意見を否定することではなく、互いに考え続けることである。
さて、この問いがもし自分自身や、自分の大切な人に向けられたとしたら――。
あなたなら、どう考えるだろうか。
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