人は、なぜ画家になるのか。

フリーマン柴賢二郎の流儀

~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~

世の中に起きている不思議なことや、独り言などをゆる~く書き綴る。

何の専門家でもない私が経済的自由を得て、人生のこと、世の中のこと、

幸せについてなど、一般庶民の目線で考える。

 

人は、なぜ画家になるのか。

 

画家という職業を考えると、「絵が好きだから」「絵を描く才能があるから」という答えがまず浮かぶ。しかし、それだけでは説明できないものがある。

 

絵を描くことは、必ずしも効率のよい生き方ではない。描いた作品が評価されるとは限らない。収入が安定するとも限らない。長い時間をかけて一枚の絵を完成させても、誰にも見てもらえないことさえある。

 

それでも、絵を描き続ける人がいる。

 

そこには、単なる「好き」という感情を超えた何かがあるのではないだろうか。

 

自分にしか見えないものを表現したい

 

画家を目指す人の心理の一つとして考えられるのは、「自分の中にあるものを外へ出したい」という欲求である。

 

同じ風景を見ても、全員が同じものを見ているわけではない。

 

夕焼けを見て美しいと思う人もいれば、寂しさを感じる人もいる。古い建物を見て歴史を感じる人もいれば、そこに暮らしていた人々の人生を想像する人もいる。

 

画家は、その「自分にしか見えていないもの」を、色や形によって表現しようとする。

 

言葉ではうまく説明できない感情もある。

 

「なぜか分からないけれど、この風景を描きたい」

 

そんな衝動から一枚の絵が生まれることもあるだろう。

 

つまり画家になるということは、自分の内側にある世界を、外の世界へ送り出す人生を選ぶことなのかもしれない。

 

評価されることより、表現することを選ぶ

 

もちろん、画家にも「有名になりたい」「作品を高く評価されたい」という気持ちはあるだろう。それは決して悪いことではない。

 

人間には、自分の存在を認めてもらいたいという欲求がある。

 

しかし、もし他人からの評価だけを目的にしていたら、絵を描き続けることは非常に苦しくなる。

 

評価されるかどうかは、自分では完全にはコントロールできないからである。

 

昨日まで評価されていた作品が、今日は評価されないこともある。時代によって価値観も変わる。生きている間には理解されなかった作品が、後世になって評価されることさえある。

 

だからこそ、画家の中には「評価されるため」よりも、「自分が描きたいから描く」という価値観を大切にする人がいる。

 

これは、ある意味では非常に自由な生き方である。

 

他人の基準ではなく、自分の中にある基準によって作品を生み出すからである。

 

世界を深く見るために、絵を描く

 

画家になる人は、「描く人」であると同時に、「見る人」でもある。

 

一つのリンゴを描くためにも、光の当たり方、表面の色、影の形、周囲との関係を注意深く観察する。

 

すると、それまで見えていなかったものが見えてくる。

 

これは絵に限った話ではない。

 

人は何かを深く見ようとすると、世界の見え方そのものが変わっていく。

 

画家にとって絵を描くことは、世界を表現する行為であると同時に、世界を理解する行為でもあるのだろう。

 

「描くために見る」。

 

そして「見ることによって、これまで気づかなかったものに気づく」。

 

そこに、画家という生き方の大きな魅力があるのかもしれない。

 

孤独を恐れない人生

 

画家という生き方には、孤独もつきまとう。

 

一人でキャンバスに向かい、自分自身と向き合う時間が長い。作品について悩んでも、その答えを誰かが教えてくれるわけではない。

 

しかし、その孤独を苦痛ではなく、必要な時間として受け入れる人もいる。

 

人と一緒にいることによって安心する人もいれば、一人になることで自分を取り戻せる人もいる。

 

どちらが正しいという話ではない。

 

画家を目指す人の中には、「誰かと競争する人生」よりも、「自分自身と対話する人生」を選びたいという思いがあるのかもしれない。

 

それは、静かな人生を求める価値観ともいえる。

 

人生そのものを作品にする

 

さらに考えてみると、画家にとって作品とは、単なる商品ではない場合もある。

 

そこには、その人が生きてきた時間が刻まれている。

 

若い頃には若い頃の色があり、人生経験を重ねれば、同じ風景でも違って見える。

 

喜び、悲しみ、失敗、出会い、別れ。

 

そうした経験が、意識しないところで作品に表れることもある。

 

だから画家にとって、絵を描くことは「自分の人生を記録すること」でもあるのかもしれない。

 

言葉として残らなくても、一枚の絵の中に、その人が生きた証が残る。

 

それは、お金や肩書きとは違う価値である。

 

あなたは、何を残したいだろうか

 

ここまで考えると、「人は、なぜ画家になるのか」という問いは、「自分は人生に何を残したいのか」という問いにもつながってくる。

 

自分の考えを文章に残したい人もいる。

 

誰かを育てたい人もいる。

 

会社をつくりたい人もいる。

 

そして、何も特別なものを残そうとはせず、今日という一日を穏やかに生きたい人もいる。

 

画家という道だけが、自分らしい生き方なのではない。

 

むしろ大切なのは、「自分は何を大切にして生きたいのか」を自分自身に問い続けることではないだろうか。

 

画家は、絵によって自分の世界を表現する。

 

しかし、私たちはそれぞれの方法で、自分の人生を表現しているともいえる。

 

仕事、家庭、趣味、学び、人との関わり方。

 

それらすべてが、その人の人生という一枚の作品をつくっている。

 

だから、画家にならない人生にも、画家として生きる人生と同じだけの価値がある。

 

大切なのは、どの道を選んだかではない。

 

その道を、自分はなぜ選び、何を大切にして歩いているのか。

 

もしかすると、「私はどう生きたいのだろう」と考えることこそが、自分という人生の絵を描き始めることなのかもしれない。

 

 

 

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