フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、独り言などをゆる~く書き綴る
何の専門家でもない私が経済的自由を得て、人生のこと、世の中のこと、
幸せについてなど、一般庶民の目線で考える
津波警報発令すぐ逃げろ! 心がけるべきは?
2025年7月30日、午前8時25分頃、カムチャツカ半島付近を震源とするマグニチュード8.7の地震が発生した。
各地の震度は、北海道東部の5つの市町で震度2を観測したほか、北海道から九州地方にかけて震度1を観測した。
この地震および津波によって被災された方々には、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
私はその地震が発生した日時、自宅の2階でちょうどエッセイを書いていた。
私が住む地域はよく晴れており、朝からセミがけたたましく鳴いているといった、いつもと同じ真夏の日常だった。
突然、手元にあったスマートフォンからアラート音が鳴り響き、驚いて画面を見ると、地震が発生し津波が迫っている、という内容だったと記憶している。
地震が発生したとはいえ揺れは何も感じなかったため、一体どういうことかと疑問を持ちながらも状況を確認するため、すぐに書きものをしている手を止めて、1階に降りてテレビをつけた。
テレビではすべてのチャンネルでこの地震を報道しており、アナウンサーが切羽詰まったトーンで「すぐに避難してください!」と繰り返しており、こちらの地域へも3mの津波が来る予想となっていた。
津波の全容が把握できたあと、私が住むところは高台なので避難の必要はないと認識し、次にとるべき行動は近親者への連絡だと認識した。
最初に隣に住む両親へ電話をかけると、地震が起きたことを知らなかったようだが、海沿いへは決して行かぬようにと注意しておいた。
その後、庭にいた家内と話し、実家の親元へ連絡するよう促した。
そこは避難指示が出ている地区だった。
電話に出た姉も地震のことは知らなかった。
また、沿岸に住む私の仲人へ連絡すると、怯えた声でこのあと高台へ避難すると話した。
その間、私はあまり冷静ではなかったと思う。
昨年の元旦に起きた能登半島地震の記憶があったからだ。
その日時、私は隣の親元で正月の団らん中だった。
揺れを感じた直後につけたテレビでは、今回と同じように切羽詰まった声で「津波が来るからすぐに避難せよ」と繰り返していた。
津波の高さは、たしか数十センチの予想となっていたように思う反面、キャスターの伝え方が少々過剰ではないかという印象だった。
しかし、その被害の甚大さは、多くの人の予想をはるかに超えるものだったのではないだろうか。
少なくとも私は、数十センチの津波予想から想像した被災レベルは、それほど大きなものではなかった。
しかし実際にはその予想を大きく外したことに胸を痛めた。
今でもその時の気持ちは覚えている。
今回のカムチャツカ半島地震の報道を受けた時、瞬時にひとり1人皆それぞれが対応をどうするか考えたはずだ。
津波が来ることを確知した時の状況や、過去に被災した経験の有無や、事前の備えの程度など違いはあるが、私が恐れるのは、「なるべく最低限の労力で対応しよう」、「報道内容や行政の指示は過剰だろうから甘く捉えても大丈夫だろう」という気持ちだ。
実際、過ぎてみると、今回は幸いにも国内では大きな被災もなく、3mという予想の津波も数十センチ~1mほどといったものだった。
仮にもし、今日また同じ地震が発生し、同じような報道、避難指示が出された場合、多くの人はどう考える?
おそらく、さらに甘く見積もるだろう。
それが繰り返された場合、万が一予想通りあるいは予想を上回った場合、「急いで避難するべきだった」ではもうその時には取返しがつかないのだ。
だから災害発生時の対応は、いつでも出来うる限りの対応をとるのが最善策なのだ。
その一瞬の判断の誤りが生死を分けるのだから。
そうした危機意識を常に持ちながら、いずれ来る南海トラフ巨大地震への備えを万全にしておきたい。
永遠に来ないでほしいと願いつつ・・・。