「AI」vs.生身の人間

フリーマン柴賢二郎の流儀

~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~

世の中に起きている不思議なことや、独り言などをゆる~く書き綴る

何の専門家でもない私が経済的自由を得て、人生のこと、世の中のこと、幸せについてなど、一般庶民の目線で考える

 

「AI」vs.生身の人間

私は現在、「AI」というものについてはほぼ縁がないといってよい。

正直に言うと、よくわからないものなので別の世界のものと捉えてしまっている。

しかし間違いなく今後世界を大きく変えるものであるということくらいは意識している。

 

さて、積極的に検索している訳ではないが、

AIについてのコンテンツで私がよく見聞きするのは、

「今後AIに奪われる仕事は何か」というものが多い気がする。

また、「AIに任せたい仕事」と「AIに任せたくない仕事」は何かというテーマも次いでよく見る。

そのような日々の中で、目を引いた話があったので書き留めておきたい。

 

頭を使う仕事でも力を使う仕事でも、そのほとんどがAIの方がよい仕事をするようになると言われている。

男子100メートル世界最速のウサイン・ボルトでも、単純に移動する速さだけで見ると普通の車の方が早いだろうし、棋士の藤井聡太といえども既にAIに勝てない時代になっている。

しかし、AI二足歩行ロボットが早く走る姿に、人々は感動するだろうか?

AI棋士AとAI棋士Bが対戦するより、羽生善治と藤井聡太の真剣勝負の方がよほど見ていて面白いのではないか?

いわゆる生身の人間が真剣に取り組む競技については、AIに代替されることはないという話だ。

 

私が最近大谷翔平を好きな理由は、いつも期待通りに一発かましてくれるところも良いが、

その人柄はもちろんのこと、ここまで来た道のりに潜むドラマを想像させるからだ。

ウサイン・ボルト、藤井聡太しかりだ。これはAIには真似できまい。

もっと広く考えると、人々に感動を与える仕事はなくなることはないだろう。

いや、なくなってはいけないのだ。

AIに乗っ取られるのではなく、人がAIをコントロールする、という構造を忘れたくない。

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