フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、
ふと浮かんだ疑問などをゆる~く書き綴る
何の専門家でもない私が経済的・時間的・人間関係の自由を得て、
人生のこと、世の中のこと、幸せについてなど、
一般庶民の目線で考える
SNSで誹謗中傷する人の心理――なぜ人は顔の見えない世界で攻撃的になるのか
現代社会において、SNSは日常の一部となった。
誰もが自由に発信でき、瞬時に多くの人とつながることができる便利な道具である。
しかしその一方で、誹謗中傷という暗い側面も抱えている。
なぜ人は、顔も知らぬ相手に対して攻撃的な言葉を投げつけるのか。
その心理を考えてみたい。
第一に挙げられるのは「匿名性の効果」である。
SNSでは本名を出さずに発言できる場合が多い。
現実社会では言えないような強い言葉も、匿名という仮面をかぶることで言えてしまう。これは心理学でいう「脱個人化」と呼ばれる現象に近い。
自分が特定されないという安心感が、責任感を希薄にし、攻撃のハードルを下げるのである。
第二に、「承認欲求」の問題がある。
SNSは反応が数字で可視化される世界である。
いいねやリポストの数が、自分の価値のように錯覚されることもある。
過激な発言や強い批判は注目を集めやすい。
穏やかな意見よりも、攻撃的な言葉の方が拡散されやすい傾向すらある。
誹謗中傷は、歪んだ形での自己アピールになっている場合があるのだ。
第三に、「嫉妬や劣等感」の投影である。
誰かが成功している姿、幸せそうな生活、自信に満ちた発言を見ると、自分との比較が始まる。
心のどこかで感じた劣等感を直視できないとき、人はそれを外に向ける。
相手を貶めることで、一時的に自分の立場を保とうとするのである。
攻撃は、実は自分の弱さの裏返しであることが少なくない。
第四に、「過剰な正義感」も無視できない。
社会問題や不祥事に対して怒りを感じること自体は自然である。
しかし、その怒りが暴走すると、「自分は正しい」「相手は悪だ」という単純な構図に陥る。
すると攻撃は正当化される。
自分の言葉が誰かを傷つける可能性よりも、「悪を叩く自分」という役割の方が優先されてしまうのである。
さらに、SNS特有の構造も影響している。
似た意見の人が集まりやすく、異なる考えは排除されやすい。
いわゆるエコーチェンバー現象である。
周囲が同じ意見で固まると、過激な言葉も「普通」に感じてしまう。
集団心理が働き、個人では抑えられたはずの攻撃性が増幅されるのである。
では、私たちはどう向き合えばよいのか。
まず理解すべきは、誹謗中傷は必ずしも「強い人」の行為ではないということである。
むしろ心のどこかに不安や欠落を抱えた人が、その処理を誤った結果である場合が多い。その構造を知ることで、必要以上に傷つかずに済むこともある。
同時に、自分自身も例外ではないと自覚することも大切である。
誰しも怒りや嫉妬を抱くことはある。
その感情をどう扱うかが分岐点となる。
すぐに投稿するのではなく、一呼吸置く。
画面の向こうに生身の人間がいることを思い出す。
それだけでも、多くの衝突は防げる。
SNSは道具である。
使い方次第で、人を勇気づけもすれば、深く傷つけもする。
誹謗中傷の心理を理解することは、他人を裁くためではなく、自分の心を整えるためである。
顔の見えない世界だからこそ、想像力が問われるのである。
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