フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、
ふと浮かんだ疑問などをゆる~く書き綴る
何の専門家でもない私が経済的・時間的・人間関係の自由を得て、
人生のこと、世の中のこと、幸せについてなど、
一般庶民の目線で考える
SNSをやらない生き方――情報に振り回されず、自分の時間を取り戻す選択
現代社会において、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)は生活の一部となっている。
朝起きて最初にスマートフォンを開き、通勤中にタイムラインを眺め、夜寝る前にも投稿を確認する。
そんな生活を送る人は少なくない。
しかし、あえてSNSを利用しない、あるいは距離を置く人もいる。
「情報に疲れた」
「人と比べることに疲弊した」
「もっと自分の時間を大切にしたい」
「そもそも興味がない」
といった理由からである。
SNSをやらないことは、時代に逆行しているように見えるかもしれない。
しかし本当にそうだろうか。
本記事では、SNSをやらない生き方について考えてみたい。
SNSは便利な道具である
まず前提として、SNSそのものが悪いわけではない。
離れた友人とつながることができる。
興味のある情報を素早く得られる。
仕事やビジネスの集客にも活用できる。
災害時には重要な情報共有手段にもなる。
かつては新聞やテレビが情報の中心であったが、現在は個人が発信者となり、多様な情報にアクセスできる時代になった。
SNSは間違いなく社会を便利にした存在である。
問題はSNSではなく、「使われる側になってしまうこと」である。
本来は道具であるはずのSNSが、いつの間にか生活の中心になり、時間や感情を支配する存在になることがある。
比較の世界から生まれる疲労
SNSの特徴は、他人の日常が絶えず流れてくることである。
旅行の写真、豪華な食事、昇進の報告、投資の成功談、新車の購入報告など、他人の「良い部分」が次々と目に入る。
もちろん発信者も意図的に見栄を張っているわけではない。
しかし人は自然と良い出来事を投稿する傾向がある。
その結果、閲覧する側は無意識に比較を始める。
「自分はこんなに旅行していない」
「同年代なのに収入が違う」
「自分の人生は平凡だ」
本来なら比較する必要のない他人の人生と、自分の現実を比べて落ち込んでしまうのである。
人間は昔から比較する生き物である。
しかし昔は比較対象が近所や職場の数十人程度だった。
現在は世界中の成功者や有名人が比較対象になっている。
疲れるのも当然である。
静かな時間が失われる
SNSを見ている時間は、一見すると短い。
しかし1回5分、10分の積み重ねは意外に大きい。
総務省などの調査でも、スマートフォン利用時間は年々増加傾向にある。
SNS閲覧だけで毎日1〜2時間を費やしている人も珍しくない。
仮に1日1時間SNSを見れば、年間では365時間になる。
これは約15日分に相当する。
読書もできる。
運動もできる。
新しい資格の勉強もできる。
家族との会話も増やせる。
SNSをやらない人が得ている最大の利益は、「時間」なのかもしれない。
人生において最も貴重な資源はお金ではなく時間である。
失ったお金は取り戻せるが、失った時間は二度と戻らないからだ。
情報を選ぶ自由を取り戻す
SNSを開くと、自分が望んでいない情報まで流れ込んでくる。
芸能ニュース。
炎上騒動。
政治的な対立。
誰かの愚痴や不満。
アルゴリズムは利用者の興味を引く情報を優先的に表示するため、刺激的な話題ほど目につきやすい。
しかし人生に本当に必要な情報は、それほど多くない。
仕事に必要な情報。
趣味に関する知識。
家族や友人との連絡。
実際にはこれだけでも十分な場合が多い。
SNSをやめると、受動的に情報を受け取るのではなく、自分から必要な情報を取りに行く習慣が身につく。
情報に支配される側から、情報を選ぶ側へ変わるのである。
孤独になるわけではない
SNSをやめることに不安を感じる人もいる。
「友人とのつながりがなくなるのではないか」
「世の中から取り残されるのではないか」
そう考える人も多いだろう。
しかし実際には、SNSをやめても本当に大切な人との関係は残る。
重要な連絡は電話やメール、メッセージアプリで届く。
親しい友人とは直接会えばよい。
むしろSNS上の薄いつながりが減ることで、本当に大切な人との関係が深まる場合もある。
人間関係の価値は人数ではなく質で決まる。
数百人のフォロワーよりも、困った時に相談できる数人の友人の方がはるかに価値が高いのである。
SNSをやらないという贅沢
情報があふれる現代において、SNSをやらないことはある意味で贅沢な選択である。
他人の評価に振り回されない。
「いいね」の数を気にしない。
常に誰かと比較しない。
静かな時間の中で、自分自身の考えと向き合う。
これは決して時代遅れではない。
むしろ情報過多の時代だからこそ価値を持つ生き方である。
もちろん仕事や趣味の関係でSNSが必要な人もいるだろう。
その場合は完全にやめる必要はない。
大切なのは、SNSを使うことではなく、SNSに使われないことである。
自分の人生の主役は自分である。
他人の投稿に一喜一憂するのではなく、自分が本当に大切にしたい時間や人間関係に目を向ける。
SNSをやらない生き方とは、情報社会から逃げることではない。
自分の時間と心の主導権を取り戻すための、一つの賢明な選択なのである。
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