フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、
ふと浮かんだ疑問などをゆる~く書き綴る
何の専門家でもない私が経済的・時間的・人間関係の自由を得て、
人生のこと、世の中のこと、幸せについてなど、
一般庶民の目線で考える
黒字なのに、なぜ切るのか――「黒字リストラ」の正体
黒字リストラとは何か
黒字リストラとは、企業が会計上は黒字、すなわち利益を出しているにもかかわらず、人員削減や希望退職募集などのリストラ策を実施することを指す。
赤字に陥った企業が生き残りのために行う「やむを得ないリストラ」とは異なり、「まだ儲かっているのに、なぜ?」という強い違和感を伴う点が特徴である。
この言葉が注目されるようになった背景には、日本企業の経営環境の大きな変化がある。
企業はなぜ黒字でもリストラを行うのか
理由の一つは、「将来の赤字を防ぐため」である。
企業経営は過去ではなく未来を見て判断される。
市場の縮小、技術革新、海外競争の激化などにより、今は黒字でも数年後に収益が急減することが見えている場合、先手を打って固定費である人件費を削減する判断が下される。
二つ目は、株主への説明責任である。
特に上場企業では、利益率やROE(自己資本利益率)といった指標が強く意識される。
人員を減らせば短期的に利益率は改善する。
その結果、株価の下落を防ぎ、市場からの評価を維持できるという論理が働く。
三つ目は、事業構造の転換である。
従来型の事業が黒字でも、成長分野に人材を移すために、不要と判断された部門を縮小・整理するケースも多い。
この場合、会社全体では黒字でも、特定部門は「将来性なし」と判断される。
働く側に突きつけられる現実
黒字リストラが残酷に感じられる理由は、「頑張っても守られない」という事実を突きつける点にある。
業績が悪くない、真面目に働いてきた、それでも対象になることがある。
これは個人の能力や努力とは別次元の話である。
ここに、終身雇用を前提としてきた日本型雇用の限界が表れている。
会社はもはや「生活を守る共同体」ではなく、「利益を生み出す組織」へと性格を変えつつあるのだ。
黒字リストラは悪なのか
感情論を離れて考えると、黒字リストラを一概に悪と断じることはできない。
経営判断としては合理的であり、結果として企業が生き残り、残った雇用が守られるケースもある。
一方で、短期的な数字を優先しすぎることで、人材の流出や組織の士気低下を招き、長期的な競争力を失うリスクも大きい。
黒字リストラは「正解」ではなく、「危うい選択」でもある。
個人はどう備えるべきか
黒字リストラの時代において、個人が取るべき姿勢は明確である。
会社の業績や安定性に、自分の人生を丸ごと預けないことだ。
・社内でしか通用しないスキルに依存しない
・年齢に関係なく学び続ける
・収入源を一つに固定しない
これらはもはや意識の高い人の話ではなく、現実的なリスク管理である。
おわりに
黒字リストラとは、企業の冷酷さの象徴ではなく、時代の変化が生み出した現象である。企業も個人も、「昨日の常識」が通用しない世界に立たされている。
だからこそ重要なのは、感情的に憤ることではなく、構造を理解し、自分の立ち位置を冷静に見直すことである。
黒字であっても切られる時代に、何を拠り所に生きるのか。
その問いから、これからの働き方は始まるのだ。
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