フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、
ふと浮かんだ疑問などをゆる~く書き綴る
何の専門家でもない私が経済的・時間的・人間関係の自由を得て、
人生のこと、世の中のこと、幸せについてなど、
一般庶民の目線で考える
人生と仕事・お金の距離感――手段と目的を取り違えないために
人生において、仕事とお金は切っても切り離せない存在である。
多くの人は、働いて収入を得、そのお金で生活を成り立たせる。
これは疑いようのない現実だ。
しかし同時に、
「仕事とは何か」
「お金とは何か」
という問いは、年齢を重ねるほどに重みを増してくる。
若い頃は、仕事は自己実現の場であり、生計を立てるための手段であり、社会に参加するための入口でもある。
目の前の業務をこなし、評価され、昇進や収入の増加を目指すことは、ごく自然な流れだ。
お金は不足しがちで、あればあるほど安心だと感じやすい。
そのため、仕事とお金は人生の中心に置かれやすい。
しかし、ある程度の経験と年月を重ねると、少しずつ違和感が芽生えてくる。
忙しく働き、収入は増えたが、自分の心が満たされているとは限らない。
逆に、収入は十分でも、時間や人間関係が犠牲になっていることに気づく人もいる。
この違和感こそが、「仕事とお金は本来、人生において何者なのか」という問いの入り口のような気がする。
本質的に言えば、仕事もお金も「目的」ではなく「手段」である。
人生をどう生きたいか、そのためにどのような仕事をし、どれくらいのお金が必要なのか、という順序が本来あるべき姿だ。
しかし現実には、この順序が逆転しやすい。
収入を最大化することが目的となり、そのために人生の時間や健康、人とのつながりを差し出してしまうことがある。
お金そのものには、善悪も幸福もない。
あるのは「選択肢を増やす力」だけである。
お金があることで、住む場所を選び、働き方を選び、助ける相手を選ぶことができる。
その自由度こそがお金の価値であり、貯めること自体が人生の勝利条件ではないはずだ。
同様に、仕事の価値も収入や肩書きだけで測れるものではない。
仕事には、社会との接点を持つ役割、人の役に立つ実感、自分の能力を試す場としての意味がある。
たとえ収入が高くなくとも、そこに納得感や誇りがあれば、その仕事は人生を豊かにする。
年齢を問わず大切なのは、「いまの仕事とお金は、自分の人生にどう役立っているか」を定期的に問い直すことだ。
若い人なら、将来の選択肢を広げるために学びや経験に投資する時期かもしれない。
中年期なら、守るものと挑戦するもののバランスを見直す時期だろう。
そして年齢を重ねた後は、社会との関わり方や時間の使い方を再設計する段階に入る。
人生は有限であり、時間は誰にとっても平等に減っていく。
仕事もお金も、その限られた人生の時間をどう使うかを支える道具にすぎない。
道具に振り回されるのではなく、道具を使って自分なりの人生を形づくる。
その意識を持てるかどうかが、満足感の差を生む。
仕事とお金を否定する必要はない。
ただ、過度に神聖視する必要もない。
人生の主役は常に自分自身であり、仕事とお金はその脇役である。
この距離感を保てたとき、人は年齢に関係なく、静かな充実感を持って生きることができるのではないだろうか。
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