フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、
ふと浮かんだ疑問などをゆる~く書き綴る
何の専門家でもない私が経済的・時間的・人間関係の自由を得て、
人生のこと、世の中のこと、幸せについてなど、
一般庶民の目線で考える
もしも飼い犬が人に噛みついたら――飼い主が負う責任と、知っておくべき現実
散歩中や公園で愛犬を連れているとき、「万が一この子が誰かに噛みついたらどうなるのだろう」と頭をよぎることがある。
これは決して大げさな心配ではない。
実際、犬による咬傷事故は毎年一定数発生しており、その多くが「悪気はなかった」「まさか噛むとは思わなかった」という飼い主の想定外から起きている。
もしも飼い犬が人に噛みついた場合、まず問題となるのが飼い主の法的責任である。
日本の民法には「動物占有者の責任」という規定があり、犬のような動物が他人に損害を与えた場合、原則として飼い主が損害賠償責任を負うとされている。
リードを付けていた、しつけをしていた、という事情があっても、基本的には免責されにくい。
被害者の治療費、通院交通費、休業損害、精神的苦痛に対する慰謝料など、賠償額は数十万円から、重症の場合は数百万円に及ぶこともある。
次に、刑事責任の問題がある。
多くの場合、犬が噛んだこと自体で飼い主が逮捕されるわけではないが、リードを付けずに放していた、危険性を認識しながら放置していたなど、管理が著しく不十分だった場合には、過失傷害罪に問われる可能性がある。
特に小さな子どもや高齢者が被害に遭った場合、社会的な責任はより重く見られる。
さらに、行政上の措置も無視できない。
自治体は事故の内容によって、犬の係留方法の改善命令や、場合によっては「危険犬」として特別な管理を求めることがある。
繰り返し事故を起こした場合、最悪のケースでは飼育継続が困難になる可能性もある。
愛犬を守るためにも、事故は一度たりとも起こしてはならない現実がある。
では、なぜ「普段はおとなしい犬」が噛んでしまうのか。
犬にとって噛む行為は、攻撃だけでなく、防衛や恐怖の表現でもある。
突然触られた、逃げ場がなかった、子どもに顔を近づけられた、大きな音に驚いた。
こうした人間側の何気ない行動が引き金になることは多い。
「ウチの犬は大丈夫だろう」という思い込みは危険である。
予防の基本は、管理と想像力である。
散歩では必ずリードを付ける。
公園でも「慣れているから」と油断せず、人が近づいたら距離を取る。
子どもが触りたがった場合は、必ず飼い主が間に入り、犬の様子を最優先する。
また、万が一に備えて、ペット保険や個人賠償責任保険に加入しておくことも、現実的な備えである。
「もしも噛んだらどうしよう」と不安になること自体が、すでに良い飼い主である証拠だ。
大切なのは、その不安を放置せず、日々の行動に落とし込むことである。
犬は言葉で説明できない。
だからこそ、守る責任はすべて飼い主にある。
その自覚こそが、愛犬と社会の双方を守る最も確実な方法なのである。
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