フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、
ふと浮かんだ疑問などをゆる~く書き綴る
何の専門家でもない私が経済的・時間的・人間関係の自由を得て、
人生のこと、世の中のこと、幸せについてなど、
一般庶民の目線で考える
宗教にハマる人の心理とは?幸せと不幸を分ける境界線を考える
ニュースで「宗教団体に多額の寄付をした」「教団の指示で犯罪に関わった」といった話を耳にすると、多くの人は宗教に対して恐怖や不信感を抱く。
しかし一方で、宗教に救われて人生を立て直した人も少なくない。
宗教に入ることで幸せになれるのか、それとも不幸になるのか。
今回は、宗教に惹かれる心理やタイミング、幸せと不幸を分ける境界線を考えてみたい。
宗教に惹かれる人の心理
宗教に興味を持つ人の多くは「心のよりどころ」を求めている。
人生の不安や孤独、仕事や家庭のストレスなど、現代社会は心が揺れやすい環境だ。
そうした時に、「生きる意味」や「救い」を与えてくれる存在として宗教が浮かび上がる。
特に現代社会では、SNSを通じて他人の幸せが見えすぎるため、自分の人生が小さく感じることがある。
そんなとき、宗教が「あなたはそのままで価値がある」と教えてくれると、人は強く惹かれる。
また、宗教は「つながり」を提供してくれる。
孤独な心に寄り添い、精神的な安心をもたらすのだ。
宗教で不幸になるケース
では、なぜ一部の人は宗教で不幸になるのか。
信仰そのものよりも、組織や指導者の問題が関わっていることが多い。
人の弱さにつけ込み、恐怖や罪悪感で信者を支配する団体も存在する。
特定のリーダーを神格化し、批判を許さない空気が広がると、信仰は「救い」から「依存」に変わる。
依存が深まると冷静な判断ができなくなり、散財や犯罪に巻き込まれる危険もある。
一方で健全な宗教は、人に考える力を与え、自立を促す。
仏教の「中道」、キリスト教の「隣人愛」、神道の「自然との共生」など、本来の宗教は心を安らげ、他者との調和を目指すものである。
宗教にハマる人の心理の裏側
宗教に惹かれる心理には、孤独や正解を求めすぎる心がある。
現代は情報や選択肢が多すぎるため、人は「どう生きるべきか」を考えすぎて疲れてしまう。
宗教が「これが正しい道だ」と示してくれると、安心感を得られるのだ。
宗教に頼る人を単に「弱い」と切り捨てるのではなく、「なぜそこまで追い詰められたのか」を理解する視点が大切である。
幸せと不幸を分ける境界線
結論として、宗教に入った人が幸せか不幸かは、信仰の内容と向き合い方次第である。
宗教を「心の支え」として穏やかに信じる人は精神的に安定しやすい。
一方で、信仰が生活の全てを支配し、自分や他人を縛るようになると、幸福は失われる。
宗教は刃物のようなものだ。
正しく使えば命を救うが、誤れば人を傷つける。
信仰を持つこと自体は悪ではない。
信じることで前を向けるなら、それは立派な生き方である。
しかし、宗教に自分を委ねすぎると、心は迷子になってしまう。
宗教に幸も不幸もない。
あるのは、信じる人の「向き合い方」だけなのではないだろうか。
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