フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、
ふと浮かんだ疑問などをゆる~く書き綴る
何の専門家でもない私が経済的・時間的・人間関係の自由を得て、
人生のこと、世の中のこと、幸せについてなど、
一般庶民の目線で考える
r>gについて
「r>g」という言葉、投資家なら多くの人が知っているだろう。
YouTubeや金融・経済に関する動画コンテンツなどを視聴していると、時々出てくる言葉だ。
金の匂いがぷんぷんしてきたところで、今回はこの言葉についてしっかり勉強しておこうと思う。
「r>g」という言葉の概略とそれが意味するところとは?
「r>g 」 = 資本主義が内包する宿命
「r>g」というシンプルな不等式が、21世紀の経済議論を大きく揺るがした。
ここで r は資本収益率(return on capital)、g は経済成長率(growth rate)を意味する。つまり「資本から得られるリターンは、経済の成長率よりも常に大きい」という命題である。
砕いて言うと、「給料が上がっていくより、資産が増えていくスピードの方が速い」ということだ。
一見、数字遊びのようにも思える。
しかしこの式が示すのは、資本主義の深層に潜む宿命的なメカニズムだ。
たとえば、ある富裕層が1億円を投資して年5%の利回りを得るとする。
一方、社会全体の経済成長率が2%にとどまるならば、その富は社会全体の拡大速度をはるかに上回るペースで膨らんでいく。
結果として、富を持つ者と持たざる者との格差は、時間とともに拡大していく。
トマ・ピケティの『21世紀の資本』でこの命題が広く知られるようになったのは、決して偶然ではない。
20世紀後半の高度成長期には、g が r に追いつき、格差は一時的に縮小した。
だが低成長の時代に戻った現代、再び「r>g」の構図が顔を出している。
これは単なる統計の結果ではなく、人間社会の構造そのものを映し出している。
投資家の視点
我々投資家にとって「r>g」は冷徹でありながらも希望の公式である。
社会全体の成長率が鈍化しているときでも、適切な資産に投資すれば個人は経済全体を上回るリターンを得られる。
企業株式、不動産、知的財産権など、いずれも資本の形を取る資産は、時間を味方につけて富を蓄積する。
だからこそ、資産を持つ者は複利の力を享受し、持たざる者は賃金上昇の鈍さに取り残されるのだ。
この現実を知る投資家は二つの視点を持つべきだ。
一つは、個人として「r>g」の流れを自らの利益に取り込む視点。
もう一つは、社会全体の持続性に目を向ける視点である。
格差が極端に広がれば、消費も投資も萎縮し、結局は資本のリターンそのものも細っていく。
したがって「自分が勝ち残る」だけでなく「社会全体が持続する」道を模索することも、長期的な投資戦略の一部となるのだ。
「r>g」とは、数字にすぎない。
しかしこの短い不等式は、資本主義の未来と人類の持続可能性を問う鋭い鏡である。
私たちはその鏡に映る現実から、目を逸らすことはできない。
であるならば、積極的に資産を所有して資本家の側に立とう。
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