フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、
ふと浮かんだ疑問などをゆる~く書き綴る
何の専門家でもない私が経済的・時間的・人間関係の自由を得て、
人生のこと、世の中のこと、幸せについてなど、
一般庶民の目線で考える
時間を守る人と守らない人について
世の中に「時間を守る人」と「時間を守らない人」の2種類の人がいるとすると、私は「時間を守る人」の部類に入ると思う。
子供のころから振り返ってみても、決められた時間に遅れたことや、朝寝坊して遅刻したことなどは、ほぼない。
おそらくこれは、母からの影響が強いのではないかと思う。
母は私から見て律儀な性格に見えるが、特に時間に対しては非常に律儀だ。
一方、「時間を守らない人」はどうなのか。
私にはこちらの分類の人の頭の中が分からない。
いい機会なので、「幸せな人生」を軸に置いて時間というものについて考えていこうと思う。
約束の時刻にきっちりと現れる人がいる一方で、どうしても遅れてしまう人がいる。
表面的には「几帳面か、ルーズか」の違いに見えるが、その根底には、時間に対する哲学の違いがあるように思う。
時間を守る人にとって、時刻は他者への敬意の表れである。
相手が自分のために割いてくれる時間は有限であり、その価値を軽んじないという信念が自分を支えている。
彼らは、約束の時刻を守ることで「あなたの存在を尊重しています」と伝えているのだ。
一方、時間を守らない人にとって、時刻は絶対的なものではなく「目安」にすぎない。
彼らは「少しぐらい遅れても大きな問題にはならないだろう」と考える。
その背景には、自分の時間の流れを中心に物事を捉える傾向がある。
意図的ではなくても、相手の待ち時間や気持ちよりも、自分の事情や感覚を優先してしまうのである。
つまり、時間を守るかどうかは単なる個性ではなく、文化や社会的規範と結びついているのだ。
では、どちらが「正しい」のか。答えは一つではないだろう。
厳格さが必要な場面、たとえばビジネスの交渉や医療の現場では、分刻みの正確さが命を救うこともある。
他方で、友人との気軽な集まりでは、時間に縛られすぎると楽しさが半減することもある。
大切なのは「状況に応じて、相手と共有する時間の価値をどう捉えるか」という感覚だ。
結局、時間を守るかどうかは、自分と相手の関係性をどう位置づけるかの表現である。
約束の時刻を守ることは、相手を尊重することの最もシンプルな方法の一つだ。
そして、もし遅れることが避けられないなら、一言の連絡を入れるだけでも「相手の時間を大切に思っている」というメッセージを伝えることができる。
時間を守る人と守らない人、その違いは「時計の針」ではなく、「心の向け方」にあるのだろう。
文化的な背景も影響している。
日本やドイツのように時間厳守が美徳とされる社会では、遅刻は信用を損なう。
一方、南米や中東の一部地域では時間はあくまで目安とされ、人間関係の柔軟さを重んじる文化があるそうだ。
しかしどの社会においても共通しているのは、時間は有限であり、誰にとっても取り戻せない資源であるという事実だ。
だからこそ、時間を守るかどうかは単なるマナー以上の意味を持つ。
大切なのは「状況に応じて、相手の時間の価値を尊重すること」だろう。
損得で考えた場合、時間を守る人はどんなことに得をし、時間を守らない人はどんなことに損をするのか。
具体的にまとめてみる。
【時間を守る人の得】
・信頼を得る
時間の約束を守る姿勢は、そのまま誠実さとして受け取られる。ビジネスでもプライベートでも「この人なら安心できる」という評価を得やすい。
・人間関係が円滑になる
相手の時間を尊重する態度は、相手からの好意や協力を引き出す。小さな積み重ねが人間関係の土台を強くする。
・自分の時間管理力が高まる
常に時間を意識することで、生活や仕事のリズムが整い、効率的に動けるようになる。結果として余裕も生まれる。
・チャンスを逃さない
会議や面談に遅れず参加できれば、最初の印象を良くし、重要な情報を取りこぼさない。
【時間を守らない人の損】
・信頼を失う
「遅れる人」という印象は簡単に定着する。誠実さや責任感に疑問を持たれ、重要な仕事や役割を任されにくくなる。
・相手の不満を招く
待たされる側は自分の時間を奪われたと感じる。小さな遅刻が繰り返されると、関係性にヒビが入る。
・自分の生活も乱れる
いつもギリギリで動くことで、慌ただしさやストレスが増し、結局は自分の時間をもうまく使えなくなる。
・チャンスを失う
大事な場面で遅刻すれば、会話のきっかけを逃したり、重要な場に立ち会えなかったりする。「少しの遅れ」が将来に響くこともある。
つまり、時間を守る人は「信頼と効率」を得て、時間を守らない人は「信頼と機会」を失うのだ。
時間は誰にとっても同じように貴重であるからこそ、守るかどうかが人間関係や人生の質に直結してしまう。
時間はお金のように貯めておけず、使えば減り、戻ってこない。
誰にとっても平等に一日24時間しか与えられていない。
それをどう使うかで、幸福の質は決まっていく。
時間は人生を豊かにする大きな資産となり得る。
時間に縛られすぎて窮屈に生きる必要はないが、大切なのは「自分にとっても、相手にとっても時間はかけがえのない財産だ」という意識を持ち、その上で柔軟に時間を使うことだ。
結局、幸せな人生を歩もうとするなら、「時間は誰にとっても貴重である」ことを忘れずに、自分の時間を充実させ、相手の時間を尊重する。
それが、人との信頼を築き、自分の人生を満たしていく最も確かな道ではないだろうか。
「時間を大切にする人は、人からも人生からも大切にされる。」
これは間違いなく、普遍的な真実だと思う。
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