高校球児がさまよう大人に突きつけるもの──無心の先にある希望

フリーマン柴賢二郎の流儀

~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~

世の中に起きている不思議なことや、

ふと浮かんだ疑問などをゆる~く書き綴る

何の専門家でもない私が経済的・時間的・人間関係の自由を得て、

人生のこと、世の中のこと、幸せについてなど、

一般庶民の目線で考える

 

高校球児がさまよう大人に突きつけるもの──無心の先にある希望

 

汗だくで砂にまみれ、ただひたすら白球を追いかける高校球児の姿を見るたびに、胸の奥がざわつく。

勝ちたいという純粋な思い、仲間とつながる喜び、そして一瞬一瞬にすべてを懸けるあの真剣さ。

そこには、どこまでも透明で、嘘のない時間が流れている。

 

彼らは損得で動いていない。

評価や効率を計算しているわけでもない。

ただ「今、この一球」に全てを賭けている。

その姿は、ときに眩しすぎるほどである。

 

一方で、私たち大人はどうだろうか。

 

気づけば、損か得かで物事を判断する癖が染みついている。

場の空気を読みすぎて本音を飲み込み、時には意味のない忖度を重ねる。

自分を守るためのプライドが、かえって自分を窮屈にしていることにも気づかない。

合理的であるはずの選択の積み重ねが、いつの間にか心の自由を奪っているのである。

 

それは決して間違いとは言えない。

社会を生きる以上、ある程度の計算や配慮は必要だ。

しかし問題は、それが「すべて」になってしまうことである。

本来、もっと自由でよかったはずの自分自身を、自ら縛り上げてしまってはいないだろうか。

 

高校球児たちの姿は、そうした私たちに静かに問いかけてくる。

「あなたは、何に本気になっているのか」と。

 

彼らは限られた時間の中で、全力を尽くす。

負ければ終わるかもしれないという現実を前に、それでも逃げず、ただ前を向く。

その潔さは、大人になる過程で置き忘れてしまった何かを思い出させる。

 

かつての私たちも、ああだったはずだ。

結果よりも過程に夢中になり、誰かにどう見られるかではなく、自分がどうしたいかで動いていた。

失敗を恐れながらも、それでも一歩踏み出す勇気を持っていた。

 

では、大人になった今、それを取り戻すことはできないのだろうか。

 

答えは、否である。

 

確かに、あの頃と同じように無邪気に生きることは難しい。

しかし「無心になる瞬間」を持つことは、今からでもできるはずだ。

仕事でも趣味でも、あるいは家族との時間でもよい。

損得を一度脇に置き、ただ目の前のことに没頭する時間。

それは小さくとも、確かな解放をもたらす。

 

そして、その積み重ねこそが、再び自分を取り戻す道になる。

 

高校球児の全力疾走は、未来に向かっている。

同時にそれは、私たちの過去と、そして今を照らしている光でもある。

彼らの姿に心を動かされるのは、単なる感動ではない。

そこに、自分が本来持っていたはずの輝きを見ているからである。

 

大人であることは、諦めることではない。

むしろ、選び直すことができる立場にあるということだ。

何に時間を使うのか、何を大切にするのか、どこまで本気になるのか。

 

その選択は、いつでもやり直せる。

 

白球を追う彼らの背中は、何も語らない。

しかし、その無言の姿こそが、私たちに最も強く訴えかけている。

 

「まだ遅くはない」と。

 

その声に、耳を澄ませたいものである。

 

 

 

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