フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、
ふと浮かんだ疑問などをゆる~く書き綴る
何の専門家でもない私が経済的・時間的・人間関係の自由を得て、
人生のこと、世の中のこと、幸せについてなど、
一般庶民の目線で考える
投資家脳 VS. ギャンブル脳
「投資家脳」と「ギャンブル脳」――心の在り方がすべてを決める
投資の世界で最も重要なのは、知識でも運でもない。
最終的にすべてを決めるのは「心の在り方」だ。
どんなに優れた分析をしても、心が乱れれば冷静な判断はできない。
投資とは、値動きと戦う前に「自分の感情」と戦う行為である。
たとえば、株価が連日上昇している人気銘柄があるとしよう。
ニュースでもSNSでも「この株はまだ上がる」と話題になっている。
多くの人が飛びつき、価格はさらに上昇する。
ここで心がざわつく。
「みんな買っているのに、自分だけ取り残されるのではないか」。
この心理が、ギャンブル脳の入り口だ。
冷静さよりも「焦り」が先に立つ。
ギャンブル脳の人は、判断を感情で下す。
上がると信じて買い、少しでも下がると不安になって売る。
結果、買っては損をし、売っては後悔するという悪循環に陥る。
例えるなら、波の高い海でサーフィンをしているのに、波に乗るタイミングを待てずにむやみにパドルを漕ぎ出すようなものだ。
焦れば焦るほど波に飲まれ、板から落ちる。
一方、投資家脳の人は違う。
彼らは感情ではなく「確率」で考える。
株価の上昇・下落を「勝負」ではなく「現象」として受け止める。
例えば、長期的に成長する企業を見つけ、そのビジネスモデルや財務体質を分析する。
そして、買うと決めたら一時的な下落に動じず、むしろ追加で買う判断もできる。
彼らは「短期の結果」より「長期の過程」を信じる。
実際、投資の世界では「焦って勝った人はいない」という格言がある。
ギャンブル脳の人は結果を急ぐが、投資家脳の人は「待つ力」を持っている。
たとえば、私が尊敬するウォーレン・バフェットが代表的な例だ。
彼は株式を買った後、何十年も保有し続ける。
短期的な値動きより、その企業が社会にどれだけ価値を生み続けるかに注目している。
市場の浮き沈みを「通過点」と見る心の余裕こそが、投資家脳の象徴である。
では、なぜ人はギャンブル脳に陥るのか。
理由は単純だ。
「儲けたい」という欲と、「損をしたくない」という恐怖、この二つの感情が人間に深く根づいているからだ。
脳の中では、利益を得たときとギャンブルで勝ったときに同じ「快楽物質」が分泌されるという。
つまり、投資の中に「興奮」や「スリル」を求めるほど、人は冷静さを失っていく。
たとえば、ある個人投資家がいる。
初めて買った株がたまたま短期間で2倍になった。
その成功体験が脳に快感として刻まれると、「またあの気持ちを味わいたい」と思ってしまう。
その結果、次は根拠の薄い銘柄にも手を出し、負けを取り返そうとさらにリスクを取る。こうしてギャンブル脳は強化されていく。
勝ちたいという欲が、理性を上書きしてしまうのだ。
一方で、投資家脳の人は、自分の感情を理解している。
「人は欲に弱い」「感情で動くと間違える」とわかっているからこそ、ルールを作る。
たとえば、
「一度に投資する金額は資産の10%まで」
「株価が○%下がったら一部売却」
「情報源は3つ以上確認してから判断」
といった具合だ。
ルールとは、自分の心をコントロールする道具である。
また、投資家脳を育てる上で大切なのは「損失の受け入れ方」だ。
ギャンブル脳の人は損を認めない。
損をした瞬間、「取り返したい」と思う。
その焦りがさらなる失敗を生む。
一方、投資家脳の人は損を冷静に分析する。
「なぜ負けたのか」「次に同じことを繰り返さないために何が必要か」。
損失を「学び」に変える力こそ、真の投資家の強さである。
もう一つ重要なのが、「情報との付き合い方」だ。
SNSやニュースには、日々、無数の投資情報が流れている。
ギャンブル脳の人は、そのたびに心を動かされる。
「あの人が買ったなら自分も」「テレビで紹介されたから安心だ」などと、他人の判断に依存してしまう。
だが、投資家脳の人は、情報を「材料」として使うだけで、自分の判断軸を持っている。市場のノイズに振り回されず、静かな心で数字を見る。
最後に、投資家として最も大切なのは「静かな自信」である。
相場が荒れ、株価が急落しても、「自分は間違っていない」と言い切れる分析と信念を持つこと。
その自信は、短期の勝ち負けではなく、積み重ねた努力と経験から生まれる。
投資とは、感情に支配される人間の本能と、理性のせめぎ合いである。
ギャンブル脳は「興奮」を求める。
投資家脳は「静けさ」を求める。
前者は波に飲まれ、後者は波の下に流れを読む。
市場がどう動こうと、冷静な心を保ち、自分の信じるルールを貫ける者だけが、長い年月を経て「真の投資家」と呼ばれるようになるのだろう。
私もいつか、自分なりの「投資哲学」を語れるようになりたいと思う。
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