少子高齢化社会に対する一つの見方

フリーマン柴賢二郎の流儀

~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~

世の中に起きている不思議なことや、独り言などをゆる~く書き綴る

何の専門家でもない私が経済的自由を得て、人生のこと、世の中のこと、

幸せについてなど、一般庶民の目線で考える

 

少子高齢化社会に対する一つの見方

山間の村に移住した青年が、その村で結婚し、林業の会社を新たに立ち上げた。

この村で生きていくという強い覚悟が表れている。

そこに将来の不安は全くないと語っている。

この青年は過去に一度この村を訪れたことがあり、気に入って移住してきたそうだ。

そうした話から動画コンテンツは始まる。

 

少子高齢化社会の多くの問題の一つに、限界集落という問題がある。

若者がどんどん都会へ出ていき、もう高齢者が数人しか残っていない集落のことだ。

私が実際にそうした集落に生まれ育ったわけではないのだが、維持していくことが相当に困難であることは想像に難くない。

 

人が一人でも住んでいるのであれば、さまざまな行政サービスは滞らせるわけにはいかないし、当然インフラだって整備し続けなければならないし、身内が近くにいない場合には衣食住の世話もほったらかしというわけにもいかないだろう。

しかしそれには莫大な費用を投下し続けなければならないのだ。

そうした集落が日本のいたるところに存在しており、国家予算のどれほどが使われているのだろうか?

 

一つの方策として、いくつかの小さな集落を一つに集約させ、そこへ高齢者に移り住んでもらえば、各種のサービスが効率的になる、というものがある。

誰しもまずはそう考えるだろう。

しかしその集落で生まれ育った高齢者たちは、知らないところに移り住むことに強い抵抗感があり、容易にその方策が実現することはない。

 

実際に私が小学校時代を過ごした鹿児島県の離れ島もその例だ。

45年前には私が通った小学校は全校児童数で100人を少し超えていた。

ところが2024年には25人しかおらず、複式学級になっている。

集落を歩いてみても若者の姿はなく、高齢者たちが道路整備などの土木作業をしている姿しか見かけない。

村おこしとして観光客を呼び込もうというささやかな活動のみがたよりだが、村の悲しい行く末しか想像できなかった。

 

そもそも高校がその島にないため、中学校を卒業した大半の生徒は本土へ出る。

しかしその後高校を卒業した若者は産業がない村へ帰って何をすればいいのか?

若者がいない村に子供が生まれることはもうない。

こうして加速度的に過疎化が進んでいく。

誰にもどうすることができないのが現実だ。私もずっとそう思っていた。

 

そこで冒頭の話から始まる動画コンテンツを見て、全く反対側から見た新しい一つの方策に衝撃を受けた。

少子高齢化の流れを止めることはできないから、ならばそのことを正面から受け止めようという見方だ。

冒頭の話に出てきた林業を立ち上げた若者は、仮に災害などによりインフラが崩壊して電気や水道が止まり、壊れた橋の復旧の見込みがない集落での新しい生活に、本当に何の不安もないのだろうか?

また、人口が減っていくのが確実な未来の日本で、何が起きていくのかという予測がある。

2020年 女性の半数が50歳をこえる

2024年 3人に1人が65歳以上の高齢者になる

2033年 全国の住宅の3分の1が空き家になる

2040年 自治体の半数が消滅する

2100年 日本の人口が約6000万人になる

人口統計からの将来予測は確実性が高いので、本当にこのような未来が日本を待っているのであろう。

 

さらにこのような社会が予想される。

高齢化する社会で若者の負担が増大すると、優秀な若者は負担の少ない海外へ出ていく。そうすると日本の経済の発展も鈍化する。

同理由により海外からの優秀な若者も日本に来なくなっていき、単なる労働力としての海外移民だけになってしまう。

経済が悪化していくと犯罪や詐欺事件が増える可能性もある。

GDPの増加が見込めなくなるのは確実だが、一人当たりGDPは成長の余地はある。

しかし上記が現実的になればそれも危うい。

 

こうしたさまざまな現実を踏まえた上で、ゲストたちから新たに提案された方策について結論を書くと、「高齢者へのサービスをギリギリまで削り、そのお金を未来ある子供や若者への投資に振り向けよう」という話だ。

招かれたゲストたちの、一見冷たすぎるように聞こえる意見を以下に要約する。

 

お年寄りに優しい国をいったいいつまで続けるのか。

どちらに希望があるかで考えたら、若者への投資を手厚くする方が国の未来にとってはいいに決まっている。

男女の問題については多くの場面で議論される反面、割を食う若者と手厚く保護される高齢者については大きなテーマで議論されないのは不平等ではないか。

現在続けられている高齢者へのサービスは、将来立ち行かなくなるのは目に見えている。限界集落を維持するための費用の多くは都市部の住民の負担によって賄われている。

公共サービスが充実したコンパクトシティへ移住するのに抵抗があり、生まれ育った場所で生活を続けたいなら、ある程度自分たちの力で集落を守るべきではないか。

日本の未来を本当に明るいものにしたいのであれば、小手先の対応ではもう限界がきており、抜本的に切り込むしかない。

 

そこに住み続けたいという高齢者はワガママだろうか。

高齢者を手厚く保護しましょう、というのは単なる美談だろうか。

しかしこのままでは日本の明るい未来は期待できそうにない。

だが現実的には、政府が高齢者を見捨てるはずはないだろう。

頭がいい有識者が知恵を絞っても出てこない方策を、フリーマン柴賢二郎ごときにベストな道を見つけられるはずはない。

あるとしたらただ一点、「不安な未来に備えて若いうちから自力で備えておくこと」だけではないだろうか。

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