フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、
ふと浮かんだ疑問などをゆる~く書き綴る
何の専門家でもない私が経済的・時間的・人間関係の自由を得て、
人生のこと、世の中のこと、幸せについてなど、
一般庶民の目線で考える
お金と人生の距離感――近づきすぎず、離れすぎずに生きるために
私たちは毎日のようにお金のことを考えて生きている。
収入、支出、貯蓄、投資、老後資金。
現代社会において、お金を意識せずに暮らすことはほぼ不可能である。
しかし一方で、「お金のことばかり考えていると人生が味気なくなる」という感覚も、多くの人がどこかで抱いているはずだ。
この矛盾こそが、「お金と人生の距離感」を考える出発点となる。
お金は目的ではなく、あくまで手段である。
これはよく聞く言葉だが、実際には簡単ではない。
なぜなら、お金はあまりにも多くのものと結びついているからだ。
安心、自由、選択肢、尊厳、そして時に承認欲求。
お金が増えるほど人生が良くなるように錯覚しやすい構造が、社会全体に組み込まれている。
だが冷静に考えてみると、お金そのものが人生を豊かにするわけではない。
お金が力を発揮するのは、「何に使われたのか」「どんな不安を減らしたのか」「どんな時間を生み出したのか」という結果においてである。
つまり、お金は人生の主役ではなく、裏方であるべき存在なのだ。
一方で、「お金なんてなくても幸せになれる」と言い切るのも、現実的ではない。
生活の不安が大きすぎれば、心の余裕は奪われる。
病気や老後、家族の問題に直面したとき、お金があるかどうかで選択肢が大きく変わるのも事実である。
お金を軽視する姿勢は、ある意味で未来の自分に対する無責任さでもある。
では、どう距離を取ればいいのか。
一つの答えは、「お金に期待しすぎないが、備えは怠らない」という姿勢である。
お金で幸せを“作ろう”とすると苦しくなる。
しかし、お金で不幸を“避ける”ことはできる。
最低限の安心を確保するためにお金を使い、それ以上の幸福は、日々の気づきや人との関係、時間の使い方に委ねる。
この役割分担が、健全な距離感を生む。
また、お金の話をするときに大切なのは、「いくらあるか」よりも「どこまであれば十分か」を自分なりに定義することである。
終わりのない増加を目指せば、満足は永遠に訪れない。
だが、「ここまであれば自分は安心だ」と線を引けた瞬間、お金は不安の種から、静かな支えへと変わる。
人生において本当に重たいのは、抱え込みすぎることである。
物も、情報も、そしてお金への執着も同じだ。
身軽であることは、必ずしも貧しいことではない。
むしろ、自分にとって不要な重さを手放せる人ほど、自由で豊かに生きている。
お金と人生の距離感とは、「支配されないが、無視もしない」その中間にある。
お金を主人にせず、敵にもせず、信頼できる道具として扱う。
その姿勢こそが、長い人生を穏やかに歩くための、現実的で哲学的な答えなのだと思う。
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