フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、
ふと浮かんだ疑問などをゆる~く書き綴る
何の専門家でもない私が経済的・時間的・人間関係の自由を得て、
人生のこと、世の中のこと、幸せについてなど、
一般庶民の目線で考える
お金とは何か――その本質と正しい付き合い方
私たちは日々の生活の中で「お金」というものを当たり前のように使っている。
買い物をするときも、給料をもらうときも、あるいは貯金をするときも、「お金」は常に身近に存在する。
しかし、あまりにも身近すぎて、「お金とはそもそも何なのか?」という問いを深く考える機会は少ない。
ここでは、お金の性質や成り立ち、そして日本の「円」の意味、さらにはお金との正しい付き合い方について考えてみたい。
お金の本質とは
お金の本質は、「価値の交換を仲介する手段」である。
言い換えれば、「人と人との信頼を数字で表したもの」だ。
もしお金が存在しなければ、物々交換をしなければならない。
リンゴを持っている人が魚を欲しいと思っても、魚を持つ人がリンゴを欲しがらなければ取引は成立しない。
しかし、お金という共通の「価値の基準」があれば、リンゴを売ってお金を得て、そのお金で魚を買うことができる。これが経済の基本的な仕組みである。
つまり、お金とは「人の信用」を形にしたものにすぎない。
紙幣そのものには特別な価値はなく、「この紙を受け取れば、誰かが同じ価値のものと交換してくれる」という社会全体の信頼があるからこそ、機能しているのだ。
お金の歴史と「円」の誕生
お金の起源をたどると、古代では貝殻や金属が使われていた。
日本でも奈良時代の「和同開珎(わどうかいちん)」が最初の貨幣とされている。
やがて世界的に金や銀が貨幣の基準となり、19世紀に「金本位制」という仕組みが登場する。
金の量がその国の通貨価値を決めていた時代である。
しかし、20世紀になると金との交換が難しくなり、現在のような「信用による通貨」に変わっていく。
つまり、今の「円」や「ドル」は金に裏付けられているわけではなく、国や中央銀行への信頼によって支えられている。
日本では1871年(明治4年)に「円」という単位が誕生した。当時の政府は近代的な貨幣制度を整えるため、「1円=1ドル=金1.5グラム」という国際基準を採用した。
現在ではそのような金との交換は行われていないが、「円」という単位は日本経済を支える象徴的な存在として定着している。
お金は循環してこそ意味がある
お金には「流れる」性質がある。
誰かが使ったお金は、他の誰かの収入となり、さらに別の誰かの支出となって社会を巡っていく。
経済という言葉の語源である「経世済民(けいせいさいみん)」も、「世の中を治め、人々を救う」という意味を持つ。
つまり、お金の循環は人々の生活を支え、社会全体を動かす力なのだ。
もし誰もが「お金を使わずに貯めるだけ」になれば、経済は停滞する。
反対に、過剰に使いすぎれば物価が上昇し、インフレを招く。
お金は「循環させながら適切に使うこと」が重要であり、それこそが社会を健全に保つ仕組みである。
お金との正しい付き合い方
お金は決して「悪」ではない。
問題なのは、お金そのものではなく、「お金に支配される心」である。
お金を持つことが目的になってしまうと、人は本来の幸福を見失う。
お金はあくまで「目的を達成するための手段」にすぎない。
正しいお金との付き合い方とは、自分にとって本当に価値のある使い方をすることだ。
例えば、学びへの投資、誰かを喜ばせる消費、社会を良くするための支援。
そうしたお金の使い方は、巡り巡って自分自身の豊かさとなって戻ってくる。
また、貯金も同じく重要だが、「不安を埋めるために貯める」のではなく、「将来の自由を守るために貯める」という意識が大切である。
お金を恐れるのではなく、理解し、味方にすること。
これが「お金と正しく付き合う」ということだろう。
終わりに
お金は、単なる数字ではない。
そこには「人の信頼」「社会のつながり」「未来への希望」といった、目に見えない価値が込められている。
お金をどう使うかは、その人が何を大切にして生きているかの表れでもある。
お金を通して、自分自身の価値観を見つめ直すこと――それこそが、本当の意味での「豊かさ」への第一歩であると考える。
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