「夢のマイホーム」を数字で見たときに、私たちは何を買っているのか

フリーマン柴賢二郎の流儀

~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~

世の中に起きている不思議なことや、

ふと浮かんだ疑問などをゆる~く書き綴る

何の専門家でもない私が経済的・時間的・人間関係の自由を得て、

人生のこと、世の中のこと、幸せについてなど、

一般庶民の目線で考える

 

 

「夢のマイホーム」を数字で見たときに、私たちは何を買っているのか

 

 

「夢のマイホーム」という言葉には、不思議な力がある。

家族の安心、子どもの成長、老後の安定。

そうしたイメージが重なり、マイホーム購入は人生の成功体験の一つとして語られてきた。

実際、日本では多くの人が感情的な満足や憧れを動機として家を買っている。

 

しかし一方で、少数派ではあるが、マイホームを「お金」「資産」「投資」という視点で捉える人たちも存在する。

この二つの視点は、しばしば同じ土俵で議論されない。

その結果、「家を買う=正解」「家賃は無駄」という短絡的な結論に陥りやすいのである。

 

まず冷静に整理したいのは、マイホームは生活の器であると同時に、極めて高額な金融商品だという事実である。

数千万円の資金を、長期間にわたり一つの物件・一つの立地に集中投資する行為とも言える。

投資の世界でこれほど偏ったポートフォリオを組む人は、長期投資家にはまずいない。

 

さらに、日本の住宅は原則として「価値が下がる資産」である。

建物部分は年数とともに減価し、築20~30年で資産価値はほぼゼロと評価されるケースも多い。

土地が値上がりする地域は確かに存在するが、それは都市部の一部に限られる。

多くの人にとって、マイホームは資産というより「負債に近い存在」になりやすい。

 

それでも人は家を買う。

なぜか。

それは、マイホームが合理性だけでは測れない価値を持っているからである。

自分の城を持つ安心感、自由に改装できる満足感、家族の記憶が積み重なる空間。

これらは数字では表せないが、確かに人生の幸福度を高める。

 

問題は、その感情的価値と経済的現実を混同してしまう点にある。

「資産になるから買う」「老後も安心だから買う」といった説明は、多くの場合、後付けの理屈に過ぎない。

本当に大切なのは、「これは投資ではない」「これは消費に近い支出だ」と理解した上で、それでも買うかどうかを判断することだ。

 

投資の観点から見るなら、住宅は「自分で住む限り、収益を生まない資産」である。

一方、同じ資金を分散投資すれば、流動性も高く、売却も容易である。

つまり、資産形成を最優先に考える人にとって、マイホーム購入は必ずしも最適解ではない。

 

結論として言えるのはこうだ。

マイホームは「夢」であってよい。

しかし「投資」だと思い込むべきではない。

感情で買ってもいい。

ただし、数字から目を背けてはいけない。

 

夢と現実、その両方を見据えたときに初めて、「後悔しないマイホーム購入」という選択が見えてくるのである。

 

 

 

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