フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
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何の専門家でもない私が経済的・時間的・人間関係の自由を得て、
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一般庶民の目線で考える
「北朝鮮による日本人拉致問題 ― 取り戻せない命と、続く祈り」
北朝鮮による日本人拉致問題は、1970年代から1980年代にかけて行われた国家犯罪である。
政府が公式に認めているだけでも17人の日本人が北朝鮮によって拉致されたとされており、実際にはさらに多くの被害者が存在するとみられている。
だが、この問題はいまだに完全には解決していない。
なぜ北朝鮮は日本人を拉致したのか、そしてなぜ日本は今も彼らを取り戻せないのか――この問題の本質を探っていきたい。
北朝鮮が日本人を拉致した目的
北朝鮮が日本人を拉致した背景には、いくつかの目的があったとされる。
第一に、スパイ教育のためである。
日本語を教え、日本の社会や文化を理解させるために、日本人を「先生」として使う意図があった。
北朝鮮の工作員が日本になりすまして活動するには、自然な日本語や文化的知識が必要だった。
そのため、実際の日本人を連れて行き、指導させたという。
第二に、偽装身分の利用である。
日本人を殺害し、その身分証明書を使ってスパイが日本人になりすますケースもあったとされる。
これは冷戦時代、北朝鮮が国際社会で孤立していたこととも関係している。
第三に、科学技術や情報の獲得が目的の一部だったと考えられている。
日本人の中には技術者や専門家もおり、その知識を北朝鮮の軍事や経済発展に活かそうとしたという見方もある。
他の国民も拉致されたのか
実は、拉致被害は日本人だけに限られていない。
韓国人、中国人、タイ人、ルーマニア人、レバノン人など、複数の国の国民も拉致されていたことが明らかになっている。
特に韓国では、1950年代以降に数千人規模の拉致があったとされており、北朝鮮の「体制維持のための拉致政策」が国際的な問題であることを示している。
つまり、日本人拉致問題は「日本と北朝鮮だけの問題」ではなく、国際的な人権侵害として捉えるべき問題なのである。
拉致が発覚したいきさつ
1970〜80年代当時、日本では「行方不明者が急増している」との報道があったが、当初は北朝鮮の関与は疑われていなかった。
転機となったのは1987年の大韓航空機爆破事件である。
この事件で逮捕された北朝鮮の工作員・金賢姫(キム・ヒョンヒ)が、「日本人の“田口八重子”という女性から日本語を学んだ」と供述したのだ。
この証言により、「北朝鮮が日本人を拉致してスパイ教育に使っている」という疑惑が一気に現実味を帯びた。
そして2002年、小泉純一郎首相が訪朝し、金正日総書記が初めて拉致を公式に認めて謝罪した。
これにより、5人の被害者が一時帰国を果たしたが、他の多くの拉致被害者はいまだ帰ってきていない。
なぜ日本は強硬手段で取り返せないのか
「北朝鮮が明らかに悪いのに、なぜ日本は取り返せないのか」という疑問を持つ人は私を含め多いのではないか。
理由の一つは、国際法上の制約である。
日本が軍事力を行使して救出に向かうことは、現行の憲法では極めて困難である。
北朝鮮国内に入るには、国際社会の合意や北朝鮮側の承認が必要だ。
また、北朝鮮は被害者を「交渉カード」として扱っている。
経済支援や制裁解除などを引き出すために、拉致被害者を政治的な道具として利用しているのである。
つまり、強硬に出れば出るほど、北朝鮮は態度を硬化させ、人質外交のような状況に陥る危険がある。
さらに、日本単独では北朝鮮に大きな圧力をかけられないという現実もある。
北朝鮮の背後には中国やロシアが存在し、国際社会の意見も一致していない。
外交交渉は複雑で、単純な「正義vs悪」の構図では動かないのだ。
今後、返還される可能性はあるのか
残念ながら現状では可能性は極めて低いとみられている。
北朝鮮は核・ミサイル開発を進め、国際的に孤立している。
その中で日本との交渉を優先する理由が乏しいからだ。
ただし、北朝鮮が経済的に行き詰まり、国際社会との関係改善を模索する局面になれば、再び交渉が進む可能性はある。
実際、2002年の訪朝も、北朝鮮が経済援助を求めていた時期だった。
したがって、外交のチャンスを逃さず、国際的な連携の中で圧力と対話を両立させることが、今後の鍵になる。
一般庶民の願い
私たち一般の日本人が望むことはただ一つ――「すべての拉致被害者が一日も早く帰ってくること」である。
拉致された人々は、家族と突然引き離され、言葉も文化も違う地で数十年を過ごしている。
親を知らぬまま大人になった子どもたち、再会を信じながら亡くなっていった親たち――その悲しみは想像をはるかに超える。
だからこそ、この問題を「遠い過去の事件」として風化させてはならない。
ニュースで取り上げられなくなっても、国民一人ひとりの関心が、政治を動かす原動力になる。
北朝鮮拉致問題は、単なる外交課題ではなく、「人の尊厳」を問う問題である。
そして、被害者と家族の心からの願いが叶う日まで、私たち国民もまた声を上げ続けなければならないのだと思う。
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