フリーマン柴賢二郎の流儀
~そよ風に吹かれて、ゆっくりと歩いていこう~
世の中に起きている不思議なことや、
ふと浮かんだ疑問などをゆる~く書き綴る
何の専門家でもない私が経済的・時間的・人間関係の自由を得て、
人生のこと、世の中のこと、幸せについてなど、
一般庶民の目線で考える
「みんなで大家さん」はなぜ行き詰まったのか――高利回り不動産投資の落とし穴
「少額から不動産オーナーになれる」「安定した分配金が得られる」。
こうした魅力的な言葉で多くの投資家を集めたのが、「みんなで大家さん」である。
不動産特定共同事業を活用し、個人投資家から集めた資金で不動産を取得・運用し、その賃料収入などを分配する仕組みだ。
表面上は、堅実で分かりやすい不動産投資に見える。
しかし、なぜこのスキームは深刻な問題を抱えることになったのか。
まず押さえておくべきは、投資家が「不動産を持っている感覚」と、実態とのズレである。
多くの投資家は、実物不動産のオーナーになったつもりで出資する。
しかし実際には、不動産そのものを直接所有しているわけではない。
あくまで事業者が運営するファンドへの出資者にすぎず、物件の管理や売却の意思決定権はほぼ事業者側に集中している。
次に問題となったのが、収益構造の不透明さである。
分配金の原資は本当に賃料収入だったのか、それとも新たな出資金に依存していなかったのか。
この点について十分な情報開示がなされていたとは言い難い。
もし分配の多くが実質的に「自転車操業」に近い形で回っていたとすれば、資金の流入が止まった瞬間に成り立たなくなる。
さらに、不動産そのものの価値と流動性も見逃せない。
地方や特殊用途の不動産は、景気や需要の変化に弱い。
いざ売却しようとしても買い手がつかず、想定した価格で現金化できないケースは珍しくない。
不動産投資は「実物があるから安心」と言われがちだが、換金性の低さは大きなリスクである。
では、投資家は何に注意すべきだったのか。
第一に、「利回りの理由」を徹底的に考えることである。
銀行預金や国債を大きく上回る利回りが、なぜ可能なのか。
その説明が曖昧な場合、リスクは表に出ていないだけで、確実に存在する。
第二に、事業者の財務状況とガバナンスを見ることだ。
物件だけでなく、運営会社が健全かどうか、資金管理が分別されているか、チェック体制は機能しているか。
ここを軽視すると、「不動産投資」ではなく「会社への信用投資」になってしまう。
第三に、「最悪の場合」を想定する視点である。
分配が止まったらどうなるのか、途中解約は可能か、破綻時に自分の立場はどうなるのか。
これを理解せずに投資するのは、目隠しをして車を運転するようなものだ。
「みんなで大家さん」の問題は、特別な失敗例ではない。
高利回り、分かりやすさ、安心感。
この三点がそろった投資話ほど、慎重になるべきである。
投資とは、儲かるかどうか以前に、「何が起きたら困るのか」を考える行為なのだと肝に銘じておきたい。
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